13)士業の職域争い
- 2009年8月3日
- 弁護士・資格
先日、NHKのドラマ「コンカツ・リカツ」に登場する行政書士が法律相談をする場面があったとして、大阪弁護士会がNHKに抗議書を送付し、マスコミでも話題になった。
また、昨年11月には、司法書士が受任できる債務整理の範囲につき、ついに法廷闘争となり、弁護士会側の解釈を支持する一審判決が出され、司法書士が控訴するという事案も発生し、これもマスコミのネタとなった。
だが、国民の目から見れば、何が問題点かもよく分からないし、士業同士の単なる「縄張り争い」にしか見えないことだろう。
まず、簡単に説明すれば、行政書士とは、役所に提出する許認可等の申請書類の作成並びに提出手続代理、遺言書・契約書等の作成等を業務とする資格であり、司法書士とは、登記又は供託に関する手続の代理及び裁判所・検察庁・法務局などに提出する書類の作成等を業務とする資格である。
基本的には、両資格とも、弁護士の独占業務である「法律相談」や交渉・訴訟における「代理」をしてはならないこととされる。
もっとも、司法書士は、平成15年の法改正により、認定を受けた場合は、簡易裁判所における訴訟代理権が付与されることとなり、簡易裁判所で扱う事件(紛争額が140万円まで。140万円を超えると地方裁判所の管轄となる。)について代理人として訴訟を担当することが出来るようになった。そして、その限りにおいて、法律相談も交渉の代理も出来ることとされた。
冒頭の例で言えば、行政書士が「慰謝料は分割に、養育費も月々の支払いになるでしょう。」などと事案の見通しを示したり助言をしたりすることは法律相談にズバリ該当するため違法だということである。
司法書士については、債務整理(交渉における代理)における紛争額140万円とはどの部分の金額かということが争点になったもので、一審では、司法書士の行為が違法とされた。議論の中味は専門的なので割愛する。
御承知のとおり、日本には似たような専門職が多く存在する。とりわけ、法律専門職と呼ばれる職業は、国家資格だけでも、弁護士・弁理士・税理士・司法書士・行政書士・社会保険労務士・海事代理士・土地家屋調査士などが存在する。
おそらく、各国家資格の違いを正確に知っている国民は圧倒的少数派のはずだ。正直言って、「ムダに多い」気がしてならないが、欧米で普通に存在する国家資格は、弁護士と弁理士だけである。一般的に、税理士という国家資格すらも存在しない。税務は弁護士と会計士の仕事とされているからだ。実は、日本でも、税理士資格が誕生するまでは、弁護士と計理士(今の公認会計士)が税務を担当していたのだ。
何故、日本だけ、こんなにも国家資格が多いのかと言えば、おそらく、「縦割り行政」の産物なのであろう。地方の縦割り行政が本質的に「責任の押し付け合い」であるのに対し、国の縦割り行政は本質的に「権益の奪い合い」である。従って、国家資格を創設して何とか監督官庁の座を奪いたいというのが各省庁の願うところとなる。ざっと各国家資格の監督官庁を見てみても、弁理士=経済産業省、税理士=財務省、司法書士=法務省、行政書士=総務省、社会保険労務士=厚生労働省、海事代理士=国土交通省、土地家屋調査士=法務省、といった具合だ。見事な「バランス」としか言いようがない。
ちなみに、弁護士は監督官庁が存在しない唯一の国家資格である。時として国と対決すべき立場にある者が国の監督を受けたのでは適切な業務遂行が出来ないという理由からだ。
さて、弁護士との間で熾烈な職域争いが問題となり得るのは、司法書士と行政書士であり、冒頭でも挙げたとおり、近時、その争いは激化している。
沿革的には、明治時代に、「代言人・代書人」制度が創設されたのが各士業の起源であり、代言人は弁護士へ、代書人は司法書士・行政書士へと発展した。
従来、弁護士は「訴訟の専門家」、司法書士は「登記の専門家」、行政書士は「許認可の専門家」という棲み分けがキッチリ出来ていて、それで十分な仕事量があったので、他士業が職域を犯してもさほど目くじらを立てなかったのであろう。
ところが、近時になり、各士業とも将来に対する危機意識を強く抱き始めたものだから、各士業団体は、職域争いに精力を注いでいるのだ。もっとも、司法書士と行政書士が「職域拡大」に走っているのに対し、弁護士は専ら「職域死守」に必死で、防戦一方ではあるが。
私見では、法律専門職に求められるものは、大きく分けて3つだ。第1に法律知識、第2に事務処理能力、第3に法的判断力である。
そして、各士業が将来に危機意識を抱く背景には、「デジタル化社会」と「規制緩和社会」という抵抗し難い時代の大きな流れがある。
現在では、IT技術の発達により、インターネットや手軽なパソコンソフトが急速に普及し、オンライン申請なども段階的に整いつつある。このことは、法律知識が自宅で即座に入手できるようになり、法的手続の場面でも、専門家と素人の事務処理スピードが大差なくなることを意味しており、従来の司法書士や行政書士のメイン業務であった「事務代行業」はどんどん衰退していく。そして、将来的には、法律専門職に真に求められるものは、「法的判断力」だけとなろう。
また、規制緩和社会の到来により、事前規制社会から事後監視社会へ移行するため、必然的に「許認可」が必要な案件がどんどん削減される。とすると、行政書士の仕事はますます減少する。そして、事後監視社会への移行に伴い、裁判が増えることが予想され、その受け皿として法曹人口を早急に増加すべきだという構想が唱えられ、その増加があまりに急激であったため、「食えない弁護士」が大量生産されていることはマスコミで周知のとおりである。
つまり、司法書士と行政書士は仕事自体の減少を危惧し、弁護士は同業者の増加による1人当たりの仕事の減少を危惧し、あの手この手で模索している最中というのが昨今の状況なのだ。
まあ、国民の目から見れば、牛丼のキャッチコピーではないが、「早い、安い、うまい(適正)」の3拍子が揃ってるなら誰でもよいということだろう。もっと言えば、「弁護士・司法書士・行政書士の違いもよく分からないし、エゴ丸出しの縄張り争いなんか全然興味ない。そんなことやってる間に少しでも値段を下げろ。」ということなのかも知れない。
だが、何故、弁護士にだけ「法律相談」と交渉・訴訟における「代理」が認められてきたのかを考えてみることは重要だ。
法治国家においては、最終的な「法的判断」は司法の場でのみ決着する。そして、司法における訴訟というのは、すこぶる特殊なルールによって規制された攻防である。証拠のみによって「事実認定」がされ、認定された事実に基づいて「法的評価」(過失の有無など)がなされ、場合によっては、「新たな法解釈」が誕生する。弁護士は、司法試験に合格した後、長期間の司法修習を経て、最後の修了試験に合格して、ようやく弁護士資格が付与される。このことは、訴訟代理という特殊な技能を身につけるには、相応の長期修行が必要だということを如実に物語っている。
ここで、多くの方は、「訴訟が難しいのは分かった。でも、法律相談や交渉での代理まで弁護士が独占する理由は無いのではないか。」と思われるかも知れない。
しかし、法的トラブルというのは、争いが激しい場合、法律相談→交渉→訴訟という経過を辿って司法の場でようやく決着することになる。
つまり、最終的に訴訟代理権が付与された者しか、「最後まで依頼者と付き合えない」ということである。私は、ここが最も重要なポイントであると考えている。
訴訟代理が出来ない者は、法律相談において、極めて「無責任」な助言をしがちである。「どうせ、後は弁護士がやるんだから。」という気持ちから、いい加減な見通しを助言する場合が多分にあり得る。
また、訴訟代理が出来ない者が交渉代理だけを担当した場合、交渉決裂となってしまうよりも、何でもいいから示談解決して、自身が「成功報酬」を得たいと思いがちだ。結果、「どうせ、訴訟でも似たような結論だから、この当たりで示談しときましょう。それに、弁護士費用を考えたら、示談の方が絶対に得ですよ。」などと詐欺まがいの助言をして訴訟を断念させるケースも出て来てしまう。
それに、理論と実務がズレていることは珍しくなく、訴訟実務を知らない者は、ピント外れの助言をしてしまいかねない。
結局、最終的な「法律判断」が確定される司法の場まで依頼者と付き合っていける弁護士でなければ、「法律相談」で責任ある助言をしたり、交渉において的確な「代理」をしたりすることは到底出来ないのだ。
ちなみに、司法書士の簡裁代理権にしても、一審で解決できれば良いが、控訴に移行した場合は、地方裁判所の事件になってしまうので、弁護士へバトンタッチせねばならないという制約がある。つまり、どういう結論が出ても、負けた方が控訴する確率が高いような事件では、最初から弁護士に依頼すべきことになる。
以上、士業の職域争いの問題は、単なるエゴだけの問題なのではなく(もちろん、エゴが含まれていることは否定しない)、依頼者の利益に直結する公的な問題でもあり、慎重な議論が必要なのだ。