78)自由と安定
- 2011年10月15日
- 経済・ビジネス
この度、下記要領により、創業(起業・独立)を志す方々を対象としたセミナーを担当させて頂く。
創業支援セミナー「お客様を感動させる企業を創る」
開催日…平成23年11月9日(水)
時 間…13:30~16:30
場 所…地場産業ファッションデザインセンター4階研修室
主 催…一宮商工会議所(一宮市委託業務)
チラシはこちら。
http://www.ichinomiya-cci.or.jp/images/semi8pan.pdf
この土日は、セミナーのレジュメとパワーポイント作りに追われそうだ。
家族にはチト申し訳ないが…。
ところで、人は何故、サラリーパーソンという「安定」した地位を捨ててまで、創業(起業・独立)を志すのであろうか。
それぞれに細かい理由はあろうが、結局のところは、
自分の価値観のままに「自由」に生きたい!!!
ということに尽きるはずである。
もちろん、その「価値観」は千差万別だろうが、要は、自分で全てのことを「選択」できる、というのが自由の本質だ。
突き詰めていけば、「幸せ」=価値観を選択する自由ということなのかも知れない。
自由ということに無上の価値を見出すアメリカでは、8人に1人が起業をするらしく、優秀な学生ほど起業家を目指すとも言われる。
優秀な学生ほど公務員(官僚)を目指す日本とは大違いだ…。
つまり、日本での最上位価値は、何といっても「安定」ということか。
自由と安定。
両者は、そう簡単には両立しない。
まあ、安定を自ら好んで「選択」している限りにおいては、その人は自由に生きているということなんだろうけども。
だが、安定(生活)のために、イヤでイヤで仕方がない(本当は辞めたい)仕事を我慢して続けているとなれば、およそ自由とは程遠い在り方だ。
仕事というのは、人生の半分以上の時間を費やす重大テーマである。
その仕事に「やりがい」を見出せないのであれば、やはり不幸としか言いようがない。
私の所属する一般社団法人中小企業支援ナビの診断士仲間は、ほぼ全員が脱サラした創業者(起業家)たちである。
彼らは、自分の信ずるがままに「自由」に仕事をやり抜きたい!!という熱い思いで、起業した方々である。
サラリーパーソンという「安定」を捨ててまで、自身の信念を貫いている彼らには心から拍手を送りたい。
中小企業診断士は経営コンサルタントである。
経営コンサルタントと表現すると響きはカッコイイが、仕事をゲットするのは並大抵のことではない。
特に中小企業の場合、経営指導はドンドン受けたいものの、肝心のコンサル料を払う余裕がない、というのが悲しい現実だ。
だから、せっかくのスキルを活用する場面自体が少ない、というのが経営コンサルタントの悩みのタネであり、クライアントの経営を心配する前に我が身の心配をしなければならない、という笑えない状況に陥りやすい。
そんな中、我が中小企業支援ナビの中小企業診断士たちは、いつも元気にバリバリと仕事をこなしている。
もちろん、彼らの懐事情を知るはずもないが、少なくとも、食うに困っている様子は微塵もない。
目の前に与えられた仕事をこなすスキルは、経験さえ積めば、誰でも上位レベルに達することが出来る。
だが、ビジネスで何が難しいかと言えば、仕事を取ってくることだ。
その意味で、常に忙しく働いている起業家たちは、それだけで尊敬に値するのだ。
弁護士も、約束された継続的収入というのは「顧問料」くらいのもので、その他は全て個別の事案を受任する際のスポット収入である。
顧問料で事務所経営が成り立つはずはないので(そういう稀有な事務所も世の中にはあるが…)、常に仕事を受け続けなければ、たちまち経営は破綻してしまう。
私が弁護士になった当時は、まだ「需要>供給」という状態であったから、ある意味、弁護士になれば、「自由」と「安定」を両方とも手中にすることができたと言えるのかも知れない。
だが、5年くらい前から、法曹人口増大の影響で「需要<供給」という状態になりつつあり、もはや、弁護士は「安定」とは真逆の職業となった。
今や、司法試験に受かっても、弁護士になるか市役所に勤めるか、大いに悩み抜く時代である。
そして、悩みに悩んだ末、弁護士(自由)になることをやめ、市役所(安定)に勤めることを選択する若者も多いのだ。
週刊ダイヤモンドの10月15日号の特集は、ズバリ「おいしい公務員」である。
この特集によると、私の住む四日市市の公務員の平均年収は712万円(!)だそうだ。
そして、四日市市のデータということではないが、地方公務員の典型的な昇給モデルは、
40歳(係長)で年収700万円
45歳(課長)で年収1000万円
50歳(部長)で年収1200万円
ということらしく、これは全国的に「ほぼ横並び」とのこと。
そう考えると、公務員というのは、ただ単に「安定」しているだけでなく、「高給かつ安定」という「おいし過ぎる」職業なのかも知れない。
この先、どんどん「食えなくなる」かも知れない弁護士なんかになるよりも、おいし過ぎる公務員の道を選択する若者がドンドン増えるのも、まあ無理もない話か…。
それでも、私は、敢えて「自由」はいいぞ!と言いたい。
自由の道は、想像以上に厳しい道ではあるが、全て自分自身が「選択」した結果ゆえ、何といっても「納得感」がちがうのだ。
情と理と信。
これは、私が仕事を受ける際の信条としていることだ。
相談者から事情を聴取して、相談者の要望が、
情(正義・倫理)の部分で「共感」できる内容か
理(法律・証拠)の部分で「実現」できる内容か
をまずはチェックし、最後に、
その相談者との間に「信頼関係」を築けるか
をジックリ見極めることとしている。
つまり、このようなフィルターを通過した相談者だけを「依頼者」(クライアント)として受け入れるというわけだ。
もちろん、私の目が節穴だったことも多々あるわけだが、こういう意識だけは常に持っていないと、札束に目がくらんで、結局、自分の価値を貶めることになってしまいかねない。
このように、自らの仕事相手も「選択」できる、というのが自由業の醍醐味である。自分で選んだ仕事相手であるからこそ、納得した仕事ができるというものだ。
ただ、仕事を選んでいる以上、儲け損なうことだけは十分覚悟しないとね。