101)自立と自律
- 2012年9月17日
- 人生・趣味
昨日(9月16日)、初めて、娘のバスケの試合を観戦した。
何を隠そう、私も中高時代はバスケ(一応、キャプテン!)をやっていたので、昨日はワクワクしっぱなしであった。
中学に入ってからバスケ部に入った娘は、自分たちの代になって副キャプテンとなったのだが、昨日はキャプテンがケガで欠場したため、代わりにキャプテンナンバーの「4番」を付けての出場となったのだ。
一昨日の晩から、「ああ、4番付けんの、キンチョーするう……」などと言っていたが、昨日は実にイキイキとしていたもんだ。
自分たちの代になって初めての公式戦だったが、結果は、1勝1敗。
勝った試合では、娘は何と19点をゲット!!
まあ、例に漏れず、親バカではあるが、娘の成長に大いに感動した1日だった。
それにしても、娘は、本当に忙しい毎日を送っている。
冗談抜きで大人顔負けだ。
朝は5時半に起きて、6時過ぎには朝練に出かけて行く。
帰りは、部活をやり終えて7時半過ぎに帰宅し、夕食後は遅くまで勉強。
土日も塾と部活漬け。
学校が家から遠いので、行きも帰りも私が駅まで送迎しているのだが、毎日クタクタで可哀
そうなくらいだ。
だが、親は何1つとして強制していない。
むしろ、「もっと手を抜いたら?」なんて言っているくらいだが、本人は、とっても楽しそうで、何だか充実感タップリの様子。
そう、娘は、自分で全てのルールを作って「自律」的な毎日を送っているのだ。
教育でも企業の人材育成でも、この「自律性」が芽生えだしたら、シメタものだ。
ちょうど、一昨日(9月15日)は、中小企業診断士の「更新研修」というものが名古屋で開催され、私も参加した。
中小企業診断士という資格は、5年ごとの更新となっており、一定の実務従事と更新研修の受講が義務付けられているのだ。
その研修の中で、「人材研修と組織風土の活性化」という講義があり、実に興味深かった。
人間のモチベーションに関する基本的な理論に「自己決定理論」というものがあり、学ぶこと、働くこと等多くの活動において自己決定すること(自律的であること)が高いパフォーマンスや精神的な健康をもたらすことを説いた理論だ。
自己決定理論によれば、人が何かをやろうとする「動機づけ」には5段階ほどある。
最低レベルの動機づけが「外的」動機づけというヤツ。
要するに、「やらないと叱られるから」というもので、制裁回避が目的だ。
まあ、小さな子に対する親の躾なんかは、こんな感じだろう。
そして、
第2段階のレベル=「バカにされたくないから」(評価)
第3段階のレベル=「自分にとって重要だから」(意義)
第4段階のレベル=「自分の価値観に合致しているから」(信条)
と続くのだが、いずれも、何かの目的達成のために行動が手段となっている点では同じだ。
ところが、最高レベルの動機づけである「内的」動機づけは別格である。
このレベルでは、そのこと自体が「楽しくて、好きだから!」(感情)やるので、もはや、何かの手段としてではなく、やること自体が自己目的化している状態だ。
そう、ただ単に「やりたいからやる!どうにも止められない!」という感じなのだ。
言うまでもなく、自律性という点では、内的動機づけが最も自律性の程度が高く、外的動機づけが最も自律性の程度が低い(他律的である)ということだ。
私の娘が、今、どの段階にいるのかは分からないが、親の目から見れば、相当に自律的であることだけは確かだ。
子への教育の目的の1つは「親からの自立」である。
もちろん、自立と自律は違う。
辞書的な意味では、
自立とは、他への従属から離れて独り立ちすることで、
自律とは、自分自身で立てた規範に従って行動することだ。
自立していても、自律できていない人はたくさんいるし、
自立していなくても、自律できている人もいる。
娘について言えば、自立はだいぶ先の話だが、すでに自律の道を着実に歩んでいるようでもあり、本当に頼もしい気がしたものだ。
まあ、親バカではあろうが。
さて、次は下の子だなあ。
何と言っても、ママから叱られるという制裁にさえビクともしない大物だからねえ(笑)。