17)道楽と仕事
- 2009年9月14日
- 人生・趣味
先日、遠方に住む知人のA氏からプライベートで相談を受けた。
彼は、もともと手先が器用で、最近十数年は、マニア向け商品を自作してネット販売することで生計を維持していたという、うらやましい(?)限りの自由人であった。
だが、昨今の経済不況のあおりを受けて、そんな自由生活にも陰りが見え始め、数年前からは毎月の家計が赤字となり、とうとう消費者金融の世話になり、最近になって、ついに自己破産したのだという。
A氏の借金問題は、法的には解決済みなので、彼の要件は法律相談ではない。要するに、「これからどうしよう…。」ということである。
御存知のとおり、自己破産して免責を得れば、借金はチャラになる。だが、もともと、家計が赤字なのだから、借金がチャラになったところで、収入が増えるか、支出が減るか、何らかの劇的な収支変動がない限り、下手をすれば、今度は、ヤミ金融のカモになりかねない。
彼は、私とは同世代である。本気で探せば、バイトの1つや2つはすぐ見つかるはずだ。「食えないなら、バイトでも何でもガムシャラにやるしかない。考える前に、どんどん体を動かすべし。」というのがアドバイスとしては正しいのだが、彼の場合、2つの問題点を抱えているので、そう簡単な話でもなさそうなのだ。
1つは、十数年に及ぶ一人暮らし&ネット販売で、ほとんど「生の人間」とコミュニケーションすることが無かったが為の、「対人関係」「社会生活」に対する極度の「心理的な不安」である。
言い方はキツイが、ずっと「ひきこもり」に近い生活だったので、社会復帰するには、相当なリハビリが必要となるかも知れない。
もちろん、本当のところは本人でなければ分からないことであろうし、私自身が的確にアドバイスできる領域でもなく、有効なコメントは出来なかった。
だが、この点が本当に克服できない限り、ネットの世界で仕事をし続けるしかないのかも知れない。
2つは、十数年に及ぶ昼夜逆転の不健康な生活に起因するところの、「身体的な不安」である。
A氏の自覚症状としては、内臓疾患があるらしく、特に冬場はしんどいそうだ。バイトをするにしても、ごくごく短時間しか出来そうにないとのこと。
国民健康保険にも加入していなかったらしく、まともに病院で診察を受けていないとのことなので、兎にも角にも病院に行って治療を受けることは勧めた。
場合によっては、生活保護を受給することも視野に入れるべきである。
ところで、私がものすごく気になったのは、彼の発言(考え方)である。
彼は、20代の頃にはサラリーマン経験もあったのだが、「好きな仕事ではなくて」辞めたそうだ。そして、今後の展望としては、「好きな分野で仕事をしていきたい」とのこと。
気持ちは分からんではないが、生活に窮している者の発言としては、「??」という感じである。
果たして、世の中のどれほどの人が「好きなこと」を仕事にしているのだろうか。確かに、「仕事が好き」という人は大勢いる。だが、その多くは、目の前の仕事に没頭している内に、その仕事固有の楽しさを「発見」して、いつの間にか「(意外にも)好きになってしまった」のではなかろうか。
むしろ、やる前から「この仕事が好き!」と言い切れることの方が不思議でならない。
仕事の「仕」は、「人にさむらう(士)」と書き、「つかえる」と読む。
要するに、仕事の本質は「人のために」何某かの事を為すことであり、その目的は、「依頼者の要求に応えること」である。つまり、「相手本位」なのだ。
ちなみに、「働く」という言葉も、「側(ハタ)を楽(ラク)にさせる」ことに由来するとの説があり、「相手本位」という本質は同じである。
一方、道楽の本質は「自分のために」何某かの事を為すことであり、その目的は、「楽しむこと」である。つまり、あくまでも「自分本位」なのだ。
私は、「道楽は仕事にはならない」と思っている。
私の狭い了見での結論だが、「自分のために楽しむ」ことが「相手の要求に応える」ことにズバリ直結するわけがないのである。
道楽は道楽として、誰にも気兼ねなく、「勝手気ままに楽しみ尽くす」のがベストである。
道楽を仕事にしてしまったら、道楽自体が嫌いになってしまう気もする。
一方、「仕事を道楽にする」ことは十分あり得ると思う。
どういうことかと言えば、「他人の為に働くこと自体が無上の喜びである」という崇高な境地は十分あり得るからだ。
マズローの欲求段階説で言えば、究極の「自己実現」欲求段階だ。
身近な例で言えば、家事や育児でこれに近い心境に達している人は案外多いかも知れないし、チャイドルのママ達は、その典型例だろう。
今後、A氏が「好きなことを仕事にしたい」という思いに固執する限り、彼の仕事人生は困難を極めるはずだ。
基本的には、どんな仕事でもいいから「まず一歩」を踏み出して、その仕事に没頭する過程で、その仕事の「楽しさ」を発見してもらいたいものだ。
道楽は、あくまでも道楽にとどめるべきであり、道楽を仕事にしようなどという発想を完全に断ちきることが肝要である。
A氏には、私なりのアドバイスをしたつもりだが、彼が一念発起し、見事に社会復帰を果たしてくれることを心から祈るばかりである。