171)忘年と望年
- 2015年1月1日
- 人生・趣味
いよいよ、2015年が明けた!!
昨年の10月~12月は、ホントに忙しかった。
特に、「師走」とはよく言ったもんで、12月は、ブログを書く暇すら無く、ついに、1本も書かずに新年を迎えてしまった次第。
私の会長任期も、早いもので、もう「4分の3」が経過し、残り3カ月のラスト・スパートを残すのみとなった。
そして、会長任期が終了したら、今度は、弁護士や中小企業診断士としての本来業務にバリバリと勤しむことになるワケで、今年は、いろいろと変化の激しい年になりそうだねえ。
さて、12月は、いろいろな方面での「忘年会」に顔を出させて頂いたが、最近では、忘年会を敢えて「望年会」と呼ぶ会も増えてきたようだ。
まあ、今年を忘れるというネガティブな感じよりも、来年を望むというポジティブな感じを出したいからなんだろうけど、正直、どちらの視点も、とっても大事だよねえ。
人生をイキイキと生きていく上で、「過去を忘れる力」と「未来を望む力」は、車の両輪と言ってもよい。
どちらが欠けても、人生を生きていくことすら出来まい。
生きていれば、いろんなイヤな事が次々と起こる。
人間、ありがたいことに、時間の経過とともに、キレイ・サッパリとイヤな事を「忘れる」ことができるからこそ、何度となく挫けても、また立ち上がれるんだよね。
と同時に、漠然と理由もなく、未来に「希望」を持てるからこそ、立ち上がった後に、また前向きに歩いていこうというパワーが漲ってくるのだ。
我々の仕事は、言ってみれば、「人様の揉め事の解決」がメイン・テーマ。
語弊を恐れずに言えば、相手方とケンカをし、裁判官とケンカをし、時には、依頼者ともケンカをせねばならない。
その意味では、決して、楽しい仕事でも、楽な仕事でもない。
毎日が、ストレスとの闘いだ。
結果、弁護士業界は、精神的に「やられてしまう」人が多い。
やられてしまう人の特徴は、ズバリ、「仕事が緻密で真面目すぎる人」だ。
つまり、依頼者と同化してしまって、依頼者の人生をすべて「背負ってしまう」のかも知れない。
もちろん、そんなことをしていたら、アッという間に、弁護士のメンタル・キャパシティはオーバー・フローとなる。
そうなれば、自己防衛本能が過剰に働いて、すべての「やる気」が失せ、なかなか抜け出せない深淵な「うつ」の世界へドップリと浸ることとなるのだ。
私も、時々「この状態が続くとヤバいなあ…。」と危険を感じることがある。
昨年は、ストレス性の腰痛にも随分と悩まされたが、何とかメンタル・ヘルスは維持することができた。
メンタル・ヘルスを維持する上で、絶対に必要なのが「忘れる力」だ。
その意味で、「忘年会」は、とっても大切なんだよねえ。
で、昨年12月は忘年会三昧だったワケだから、キレイ・サッパリと昨年のイヤな事は忘れ切ったはず(笑)。
ということで、今年は、新たな「希望」を胸にタップリ抱いて、バリバリと人生を歩んでいきたいもんだねえ。
ただ、より大きな視点で言えば、日本経済にしろ、わが弁護士業界にしろ、なかなか「希望」を見出しにくい状況にあることは確かだ。
昨年は、アベノミクスが話題になったが、真の経済実態がどうであれ、まずは、日本国民全体が理由なき「希望」を持つこと自体が大切なんだよねえ。
個人の視点では、賃金が上昇し、今後も賃金が安定的に上昇するという実感が無い限り、消費を控えて貯蓄に回したくもなろう。
一方、国家の視点では、とにかく、みんながジャンジャン消費をしない限り、日本経済自体が上向きにならないワケで、このパラドックスが経済政策を困難にしている要因の一つ。
国民全体が消費を先行させれば、結果的に国民全体の賃金上昇につながる、という真理は、感覚的にはホントに分かりづらいものだ。
弁護士業界も似たようなことが言えて、「希望」の無い業界は衰退するばかりで、衰退すればするほど、ドンドン「希望」は失われる。
やはり、これも、弁護士全員が理由なき「希望」を抱いて、業界の進歩発展のためにドンドン投資を先行させていかないとダメなんだろうね。
まあ、弁護士業界については、自分自身でもシッカリとした解答が出ていないワケで、今後の重要テーマなのではあるが、とにもかくにも、今年は、イヤな事は確実に忘れた上で、理由なき「希望」を抱いて、ビシッと突き進みたいもんっすね。