沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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25)投資・消費・浪費

 住宅ローン破綻が話題となっている。競売件数も急増しているらしい。
 住宅というのは、人生最大の買い物であるだけに、個々人の思い入れも凄まじく、多くの人が、月々の支払いだけを念頭に、ギリギリのところで「分不相応」な住宅を購入してしまう。だから、少しでも収入が減少すれば破綻に向かってしまうのは、むしろ当然のことなのであろう。特に、ボーナス払いに過度に依存したローン設計をしている人は、非常に「危ない」と言える。

 ところで、これだけ住宅ローン破綻が話題になっているのに、本年10月11日付けの日経新聞によると、新規に住宅ローンを組む人の中で「変動金利」を選ぶ人が急増しているのだそうだ。超低金利が続いて、「お得感」が強まっているためとのことで、大手都市銀行では、現在、新たに住宅ローンを組む人の実に8~9割が変動金利を選択するようだ。

 この数字には、さすがに驚いた。個人的には、住宅ローンを変動金利で組むという発想が微塵も無かったからだ。
 私が住宅ローンを組んだのは10年以上前のことだが、何ら迷うことなく固定金利を選択した。当時、何冊か住宅ローン関連のハウツー本を購入したが、私の記憶では、どの本にも「固定金利を選択すべし。」との記載があったはずだ。

 住宅ローンは、最長35年もの長期間に渡って返済が続く代物である。
 超低金利だからというだけの理由で変動金利を選択する人達の経済感覚は非常に「危ない」と言わざるを得ない。
 まさか、今の超低金利が10年以上も続くとは誰も思っていないだろう。
 変動金利を選択する人の多くは、「金利が上がれば固定金利に変更すればよい。」という安易な考えなのだろうが、固定金利は常に変動金利よりも「相当に高い」し、変動金利が上昇する「ずっと以前に」必ず上昇するので、「変動金利が上がりそうだ。」と少しでも感じ始めた頃には、固定金利はとっくに跳ね上がってしまっているのだ。
 つまり、結果的には、今よりも相当に高い固定金利を長期間払い続けることになってしまうだけのことだ。
 そう考えると、極めて短期間で返済できる人以外は、今の時期に変動金利を選択する合理的理由など全くないはずだ。

 そもそも論で言ってしまえば、住宅ローンを組むということ自体、経済的には非常に不合理な行為である。
 3000万円を年利3%(固定)、35年ローンで借りた場合、返済総額は4850万円になる。つまり、5000万円近い金を出して、3000万円の商品を買っているという、経済的には「あり得ない」買い物だ。
 厳密に言えば、将来の返済額は物価変動率で現在価値に換算する必要があるが(20年後の10万円と今の10万円は同じ価値ではないので)、それにしても、固定金利を上回るほどの超インフレがずっと続かない限り、経済的に不合理な買い物であることには違いない。

  話は変わるが、 年末ジャンボの時期なので、宝くじを楽しみで購入する人も多いだろう。私の身近にも、宝くじ愛好家は少なからず存在する。
 だが、宝くじを買うという行為もまた、経済的には「あり得ない」行為だ。
 全てのギャンブルには「胴元」が存在する。胴元は絶対に損をしないことになっており、集めた金から先んじて胴元がピンハネをする。これが「寺銭」である。
 宝くじの場合、寺銭は約50%(!)であるから、300円を出して150円の商品を買っているという「あり得ない」買い物が宝くじなのだ。
 単純な例で、100万人の人が1人300円を出して宝くじを買ったとしよう。集まった金は3億円であるが、胴元が1億5000万円をピンハネするので、賞金として配当されるのは1億5000万円である。仮に、1等=1億円×1本、2等=1000万円×5本だとすれば、この宝くじの【期待値】は、
    1億円×1/100万+1000万円×5/100万=150円
ということで、結局150円の商品価値しかないという計算だ。
 
  もちろん、人間は損得勘定だけで生きているわけではない。損得を超えた「心理的充足感」というのも確かに存在する。
 ただ、肝心なことは、経済的不合理性を当の本人が理解した上で、その経済的不合理性を埋めるだけの十分な心理的充足感が本当に存在するのかどうか、じっくりと検証してみる姿勢そのものだ。
 このあたり、自分自身の内なる心と真剣に向き合ってみる必要があろう。

 よく言われることだが、何らかの支出をしようとするとき、「投資・消費・浪費」に区分けして、その支出を検証するクセをつけるべきである。
 投資・消費・浪費の区別は、ものすご~く単純化すれば、
    投資=投じた金を超える利益が得られるもの
    消費=投じた金と同等の利益が得られるもの
    浪費=投じた金に見合った利益が得られないもの
ということになる。

 自身がこれから行おうとする支出が、投資・消費・浪費のどれに該当するかをちょっと検証してみるだけでも、経済的な大ケガは無くなるはずだ。
 住宅ローンを組むにせよ、宝くじを買うにせよ、心理的充足感≧経済的不合理性という図式が成り立たないと感じるならば、それは、おそらく「浪費」そのものなのだから、ちょっと頭を冷やして考え直した方がよいということだ。

  昨今、株式投資も流行っているが、「投資」という名は付いていても、実態は「投機」である。理論上は、長期的に見れば、株式市場全体の【期待値】はプラスなので、インデックスファンドなどに長期投資すれば「投資」にもなり得るのだろうが、個別銘柄を選択して短期投資する場合は完全に「ギャンブル」である。
 株式市場が永久に膨張し続けない限り、「大多数の損をする人の犠牲のもと、一握りの得をする人が生まれる。」という図式は不変である。株式投資で「みんながハッピー」はあり得ないのだ。肝に銘じるべきであろう。
 何より、株式投資が宝くじよりも始末が悪いのは、株価の変動を合理的に予測できる「科学的必勝法」がどこかに存在するはずだという盲信が蔓延しており、宝くじ購入のような小遣い銭ではなく、一家の「虎の子」まで持ち出して「大真面目に」浪費してしまう人があまりにも多いことだ。
 未来は絶対に予測できない。当たり前だが、ついつい忘れがちなことである。

 私自身、仕事以外の日常生活で、本当に「投資」と呼べるものは、「自己研鑽」(勉強・読書・運動・芸術など)と「人との交流」(家族も含め、濃い人間関係に限る)の2つしかないと思っている。
 金は生きる上で不可欠だが、あり過ぎて不幸になる人がいるのもまた事実だ。
 人の幸福感は、完全に自らの内心次第で決定される。
 金の亡者になる前に、まずは、人生の有り難みに感謝しつつ人生を満喫できる「豊かな心」こそ、どんどんと増殖させていきたいものだ。