沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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193)放置する心理

今月1日、金沢弁護士会所属の弁護士(57歳)が、業務停止2ヶ月の懲戒処分を受けた。
懲戒理由は、受任案件2件を「放置」し、着手金合計233万円の速やかな返還を怠ったというもの。

懲戒対象となった放置案件は次のとおり。
1)2000年1月に受任した損害賠償請求案件では、提訴せずに放置し続け、着手金200万円の返還に応じたのは、紛議調停申立後の2013年12月であった。
2)2012年2月に受任した慰謝料請求案件でも、提訴せずに放置し続け、着手金33万円の返還に応じたのは、懲戒請求後の2013年12月であった。

ちなみに、懲戒請求というのは、弁護士会に対して対象弁護士の「懲戒処分」を求める制度であるが、紛議調停というのは、弁護士会が間に入って解決の道を探る「話し合い」の制度である。

案件内容は驚くべきものだが、1)の案件に至っては、依頼者は、実に14年間もの膨大な時間をムダにしてしまったことになる。
事案の詳細は不明だが、まあ、どのような法律構成をしても、この期に及んでは、依頼者の請求権自体が「時効消滅」してしまっているはずだ。
つまり、依頼者は、本来であれば行使できたはずの「権利そのもの」を失ってしまったということだ。

そして、悲しいことに、この弁護士は、懲戒処分が下ったその日の晩に、自宅で首を吊って自殺してしまったとのこと。
元依頼者たちも、ホントに「やりきれない」思いに違いない。

弁護士会の会長に就任すると、弁護士会に対する苦情・紛議調停・懲戒請求に関する全ての情報に触れることになる。
実は、弁護士による「事案放置」は、「情報漏洩」「説明不足」と並んで、当会の「ワースト3」を構成する頻発案件である。

他の弁護士会では、弁護士による「業務上横領」などの悪質犯罪も発生している状況であるが、当会では、犯罪に該当するような案件は発生していない。
だが、案件放置は、依頼者の権利喪失につながりかねない深刻なものだし、弁護士の「メンタル・ヘルス」の問題も絡んでくるホントに難しい課題だ。

では、何故、案件を「放置」してしまうのであろうか。

人間心理というのは、とても複雑なように見えて、意外と単純なものらしい。

意思決定の源となる欲求は、次の2つだけである。
1)快の追求
2)不快の回避

そして、各要素の「重みづけ」にも次の2つのルールがある。
1)快よりも不快の方が「重く」感じる
2)未来よりも現在の方が「重く」感じる

つまり、人は、目の前の「現在の不快」を回避する欲求が一番強いのだ。

これは、生物の進化過程からしても当然のことだ。
目の前のエサ(現在の快)に夢中で、すぐ側の捕食者(現在の不快)に気付かなかったら、アッという間に「ジ・エンド」だもんね。

まあ、案件をここまで放置し続けてしまったのは、何らかの理由で、仕事に着手するのが強烈に「不快」であったということなんだろう。
とは言え、どんな仕事であれ、それなりに「不快」なものばかりなんだけどね。
 
それでも、多くの人がキチンと仕事に着手するのは、
1)今やることによる達成感(現在の快)
2)今やることによる報酬(未来の快)
3)今やらないことによる制裁(未来の不快)
等々を総合考慮し、結果的に「今やることが最もトク」と判断するからに他ならない。

ところが、依頼者側から「アクションを起こす」場合の弁護士受任案件は、どうしても「放置」してしまいやすい構造にあるのだ。

まず、弁護士へ依頼する場合、先に「着手金」を支払い、弁護士は着手金の納付を確認してから案件に着手することが多い。
とすると、弁護士サイドからすれば、既に報酬は受領済みなので、2)やることによる「報酬」ゲットという動機が全く働かない。

そして、依頼者側から「アクションを起こす」場合というのは、訴訟事案のように、「いつまでに何を提出すべし」という裁判所による締切が設定されていないため、放置をしたとしても、3)やらないことによる「制裁」発動という恐怖心が生じにくいのである。

そもそも、1週間や2週間、遅れたってどうってことはない。
まあ、既に3週間も遅れてるんだから、1ヶ月くらい遅れても全く問題ない。
ならば、2ヶ月くらい遅れても問題ないよな。
うんうん、ならば、半年くらい遅れても大したことはなかろう。

……なんていう感じで、いつまでも「やらないこと」が軽んじられ続け、数年間にも及ぶ案件放置へと発展してしまうのだろう。

かくして、冒頭の弁護士は、紛議調停や懲戒請求という強烈な「現在の不快」事象が発生するまで、仕事に着手するという「現在の不快」に抗い切れなかったということだ。

そこまでして仕事に着手するのがイヤだったならば、すぐに着手金を返還すればよかったではないかとも思うが、結局、着手金を返還すること自体が「現在の不快」なので、これを回避しようという強いモチベーションが働いたのだ。

ならば、そもそも、仕事を受任しなければよいではないかとも思うが、これだって、着手金を受領できるという「現在の快」や、相談者の反応(受任した場合の感謝=現在の快、拒絶した場合の落胆=現在の不快)を思うと、近い将来、仕事に着手せねばならないという「未来の不快」は、ほぼ無視できるほどに「軽く」感じてしまうということなんだね。

まあ、私の場合は、「やる不快」よりも「やらない不快」の方がはるかに大きい。
むしろ、やるべき仕事が停滞してくればくるほど、その不快感で体調を崩しがちなくらいだ。
ある意味、案件放置をしにくい体質とも言えるので、これはこれで有り難いことかね。

前述のとおり、当会では犯罪事案は発生していないが、いくつかの弁護士会では、成年後見人による業務上横領事件が発生している。

弁護士が成年後見人に就任している案件では、数千万円の預金を管理するのが一般的だ。
まともな精神状態であれば、預金に手を付けることによる制裁(未来の不快)があまりに大きいため、「現在の快」を優先する気にはならない。

とは言え、業務上横領事件では、人が最も回避したい「現在の不快」が存在しない。
従って、何らかの事情によって、未来に起こり得る制裁(未来の不快)を「リアル」に感じとる脳のセンサーが麻痺してしまっていると、「現在の快」に抗い切れないということ。

本年7月22日に再逮捕された元弁護士(48歳)は、成年後見人の立場を悪用して、総額1億円以上を「横領」したそうだ。
その元弁護士は、「キャバクラでお気に入りの女の子のために、シャンパンタワーをやって、一晩で100万円をつぎ込んだこともあった。キャバクラだけで4000万円ほど使い込んだ。」などとアホな供述をしているという。

彼は、どういう訳からか、「未来の不快」(=制裁)をリアルに感じることができず、強烈で刺激的な「現在の快」に溺れてしまったのである。

繰り返しになるが、人は、「現在の不快」を最も回避したい生き物である。
その回避方法の究極が「自殺」ということだ。

冒頭の弁護士は、懲戒処分という「現在の不快」に耐え切れず、本来は究極の不快であるはずの「死」を自ら選択した。

最近、娘の同級生(高2)が自殺した。
よほど、耐え難い「不快」事象があったのだろう。

そして、私の同期である弁護士も、2年ほど前に自殺した。
彼が死を選ぶ1ヶ月前のツイッターは、「絶望的に仕事がない…」だったそうだ。

死を選んだ人の心境は推し量れない。
だが、その共通項は、耐え難い「現在の苦境」と「未来への絶望」ということだろう。

現在の不快が如何に強烈でも、その不快はいずれは終わり、その先には快が待っているはずだと希望を持てるからこそ、人は何とか生きていけるんだよね。
勿論、その希望の源となり得るのは、家族・友人・社会との「つながり」以外にはなかろう。