225)すべては人間学
- 2016年12月3日
- 社会・雑学
早いもので、我が子たちも、高3と中2の終わりかけ。
上の子は、目下、大学受験のラストスパート期。
下の子は、目下、部活やら何やらで青春真っ盛り。
でも、そこはやはり、多感でビミョーな思春期。
なかなか、人間関係も悩ましいようだねえ。
まあ、大人になって、人生経験を積んでくると、
全ての人から万遍なく好かれるなんてあり得ないと悟る。
自分を熱烈に好いてくれる人がいれば、
それと同じ数の「アンチ」がいると考えるべしということも。
個人的な感覚からすれば、
自分と関わる2割の人が、自分と価値観や波長が合い、
同じく2割の人が、自分と価値観や波長が全く合わず、
そして、その他6割の人は、自分には全く無関心、
という感じなのかなあ。
結局、人生においては、まず最優先にすべきは、
自分と価値観や波長の合う2割の人を大切にすることだよね。
とは言え、狭い学校という社会だけで生きていると、
なかなか、そこまで達観できないだろうけど。
まあ、こういう人間関係の悩みを経て、
人として大きく成長していくんだから、親としては、
家庭の雰囲気を温かくしながら、ただ見守るしかあるまい。
最近ブームの心理学者アドラーによれば、
「人間の悩みは、全て人間関係の悩みである」とのこと。
人間の悩みが、全ては社会生活に端を発する以上、
アドラーの分析は、的を射ている気がするねえ。
同じくブームになった経営学者ドラッカーも、
「マネジメントは、人間学である」と言い切った。
ビジネスという経済活動も、
人が価値を創造し、その価値を人に提供する、
というものである以上、まさに人間を深く知る必要があろう。
そして、言うまでもなく、
紛争解決や紛争予防を目的とする我々弁護士の仕事も、
まさしく「人間学の探究」に他ならない。
要するに、現代社会に生きる全ての人にとって、
この「人間学」こそがキーワードになるんだろうね。
長らく民事の弁護士をやっていると、
「和解」こそが最良の解決であると確信してくる。
もちろん、弁護士によっては、
「勝つ」ことが全てという人もいよう。
でも、一方の「勝ち」は、他方の「負け」なワケで、
負けた方は納得いかず、その後も、紛争は継続してしまう。
そして、法的手段としては最終決着が付いたとしても、
勝った側の権利行使が容易に実現しないことも多い。
負けた側は納得していないワケだからね。
民事裁判の目的は、あくまでも「紛争解決」である。
よく「裁判で真実を明らかにしたい」という人がいる。
でも、刑事裁判ならまだしも、民事裁判での真実探求は極めて難しい。
一民間人である弁護士には、警察のような強制捜査権限がないし、
裁判所にすら、そんな強力な権限はないからだ。
また「とにかく悔しいので、ギャフンと言わせたい」という人も多い。
でも、こういう人の依頼は、基本的にNGだ。
民事裁判で実現できるのは、「紛争の金銭的解決」に過ぎない。
こういう人の場合、そもそも「お金が目当てじゃない」ことになろう。
これは、パッと聞いた限りは「高尚な目的」のようにも錯覚するが、
民事裁判で実現できることを本来の目的としていないのだから、
民事裁判という手法の選択自体が「お門違い」ということ。
こういう人の場合、絶対に「和解」による解決ができないし、
理性的な合理的判断ができないので、完全にお手上げ状態に陥る。
結局、民事裁判では「スカッと」せず、弁護士への恨みだけが残る。
くどいが、民事裁判は「紛争解決」が全てである。
双方が、全力で主張と立証を尽くした以上は、
裁判官と双方の代理人弁護士が、「理性的な和解」を目指すべきなのだ。
当事者自身は、感情的な部分もあり、冷静な判断をするのが難しい。
だからこそ、専門家の役割は大きいのである。
和解による解決のメリットは、
1)敗訴リスクの回避
2)紛争の終局的解決
3)権利行使の容易性
などが挙げられよう。
つまり、紛争解決手段としては、最も賢明な策なのである。
当事者としては、譲歩自体が「気に入らない」はずだが、
それでも、双方とも、「少しずつ勝った」に等しいのである。
人間心理の本質として「損失回避性」というものがある。
人間というのは、「得る快感」よりも「失う苦痛」の方が大きいのだ。
その差は、およそ「2.5倍」なのだそうだ。
つまり、1万円を失うというのは、
2万5000円を得るのと「同じインパクト」ということ。
例えば、50%の確率で当たりくじがあり、
当たれば1万円貰えるが、はずれたら1万円支払うというゲームの場合、
普通の人は、まず挑戦しない。
これが、当たり=+2万5000円、はずれ=-1万円のゲームだと、
ボチボチ、挑戦者が現れるということなんだね。
裁判の当事者の場合、双方ともが「損失回避をしたがる」ことになる。
お金を請求する側は、「貰えるはずの金額が少なくなるのを回避したがる」し、
お金を請求される側は、「支払う金額が多くなるのを回避したがる」というワケ。
だからこそ、最悪の結果である「敗訴」が回避できる和解は最善なのだ。
要するに、双方が「最悪を回避した」という納得感を得るワケなんだよね。
とまあ、つらつらとよく分からん話をしてきたが、
当事務所も、来年1月からは「弁護士3名・事務員3名」の体制となる。
ますます、事務所内の人間関係は大切にしていかねばなるまい。
マネジメントも「人間学」だからね。
とにかく、私の周りにいる「2割」の人達には、1人残らず、
とことん、人生の「幸せ」を満喫して欲しいもんす。