230)高齢者=死語となるか
- 2017年1月7日
- 社会・雑学
今月5日、日本老年学会と日本老年医学会は、
高齢者の定義を「75歳以上」に引き上げるべきだと提言した。
提言そのものは、「ごもっとも!」といった感じ。
御存知のとおり、現在では、「65歳以上」が高齢者とされ、
65歳~74歳=前期高齢者
75歳以上=後期高齢者
というようにカテゴライズされている。
だが、何故、65歳からが高齢者なの?
というと、特段の科学的根拠は無いようだ。
1956年、今から60年も前に、
国連の報告書「人口高齢化とその経済的・社会的意味」において、
当時の欧米先進国の水準をもとに、
「高齢化率7%超」=「高齢化した人口」
と定義づけたことに由来するらしく、
その際に設定された高齢者年齢が、たまたま「65歳」だったということ。
その後、この高齢化率「7%」が独り歩きし、
今では、高齢化率を7%の倍数ごとに区切って、
7%超~14%=高齢化社会
14%超~21%=高齢社会
21%超 =超高齢社会
と呼称されるのが一般化している。
日本は、1970年には「高齢化社会」を迎え、
1994年に「高齢社会」、2007年に「超高齢社会」に突入した。
今では、65歳以上の人口(高齢化率)は、実に「27%」に及ぶ。
相変わらず、7%の倍数で区切っていくならば、
間もなく、日本は「超々高齢社会」と表現すべき時代に突入してしまう。
1956年当時の日本の平均寿命は、
男性=63.59歳、
女性=67.54歳だ。
ところが、60年後の今、日本の平均寿命は、
男性=80.79歳、
女性=87.05歳だ。
この60年間で、平均寿命は、なんと20年近く伸びた。
ならば、高齢者の定義だって、20年近く伸ばしたってよいはず。
従って、今回の「75歳以上」=高齢者という提言だって物足りないほどだ。
そもそも、「高齢者」を定義づける意味は、
老齢のために働けず、現役世代に「支えてもらう」人達を高齢者と呼び、
その高齢者の人口比率をもとに、社会保障制度を設計せんがためである。
でも、今の時代、「老齢のために働けない」という前提が崩れている。
75歳だって、体は衰えても、まだまだ「頭」は元気だし、
世の中の仕事の大半は、頭を使う仕事だからね。
現代の脳科学では、脳という臓器は「120年」(!)は衰えないとされる。
ならば、どれほど年齢を重ねても、知的労働に関しては、生涯現役!!
多くの先輩弁護士を見ていても、70歳・80歳でもバリバリだしね。
そして、今後は、AI(人工知能)の急激な進化により、
世の中は、あらゆる領域で「自動化」がドンドン進み、
肉体労働や単純労働における「人力」は不要となってくる。
そうすると、人間が「働く」場面は、次第に限定されてくる。
ということは、社会保障制度そのものも、いずれ崩壊する。
「働く」ことに関して、年齢で区切ること自体がナンセンスになるからね。
今、多くの先進国では、「ベーシックインカム」の導入を議論し始めている。
ベーシックインカムとは、就労や資産の有無にかかわらず、
全ての個人に対して生活に最低限必要な所得を無条件に給付するという政策だ。
つまり、これでギリギリの生活は遅れるから、働かなくても食べてはいけるし、
より多くの収入が欲しければ、ジャンジャン働けばよいという話。
ベーシックインカムのメリットは、社会保障制度が不要となる点にある。
そして、全員に同額を配布するだけなので、運用が極めて簡単。
複雑な社会保障制度を維持するための莫大なコストも同時にカットできる。
今回の高齢者の定義見直し提言も、
現状の社会保障制度に対する危機感が根底にある。
ベーシックインカムも、古くから議論されてきたらしいが、
働き手が減少することで国としての経済力が落ちることにつながり、
ベーシックインカムの財源捻出が困難になると指摘されてきた。
しかし、ここにきて、自動化社会の到来である。
自動化社会においては、生産力は向上しつつ、人的コストが削減される。
従って、国の財政は豊かになっていくことになるので、
ベーシックインカムを導入する下地が出来てくるはずなのだ。
高齢化と自動化。
上手い具合に、2つの波が重なり合ってくれることで、
社会保障制度の抜本的改革が実現することになるかも知れない。
そうすれば、「高齢者」という呼称すら、「死語」になる時代が到来するかも。
まあ、とにかく、死ぬまで、脳を「元気」に保ち続けることだ。
そのためには、脳を元気に保つ「かきくけこ」の実践だね!
か:感動する!
き:興味をもつ!
く:工夫する!
け:健康を保つ!
こ:恋をする!