265)知情意とAI
- 2018年3月21日
- 人生・趣味
年度末だから?
というワケでもないんだろうけど、
ここんところ、土日の予定がビッシリで、
はたと気づいたら、
今月はブログを1本も書いてなかった。
さすがに1本くらいは書かないとなあ、
なんて思っていたところ、
たまたま、今日、
ポッカリと予定が空いたもんで、
何とかブログを書ける状態に至った次第。
でも、ホントは、
今日は、長い冬の間、待ちに待った、
ロードバイクサークルの「走り初め」
という楽しみな日だったんだよね。
ところが、あいにくの「雨」。
やむなく、走り初めは中止ということに。
まあ、天気ばかりは、どうしようもないので、
来月の「定例走行会」を心待ちにしつつ、
ハムスター(ローラー回し)生活を続けるのみ(笑)。
さて、年度末ということで、
我が家も、一つの節目を迎えた。
下の子が中学を卒業し、
夫婦で卒業式に参加してきたのだ。
本人の強い希望もあり、
中学時代に頑張った吹奏楽を続けるべく、
吹奏楽部の強い遠方の高校に進学することに。
結果、私は、今年4月からの3年間、毎日、
早朝に駅まで送り、夜に駅まで迎えに行く、
という何とも規則正しい生活を強いられる(笑)。
そして、上の子は、今、
大学のアカペラサークルに没頭中。
先日も、大学1年生のカテゴリーで、
アカペラの全国大会に出場し、
夫婦で東京まで応援に行ってきたのであった。
子供たちの頑張っている姿というのは、
親にとっては極上のご褒美だよねえ。
ホントに有り難いことだ。
ところで、上の子も、
今度、ようやく大学2年生なんで、
就職なんて「まだまだ」と思っていたら、
もう来年には就活準備が始まるんだよねえ。
ビックリするくらい、アッという間だ。
上の子は商学部に入ったので、
公認会計士を目指すという選択肢もある。
でも、学内の雰囲気としては、
「公認会計士の将来」
に対する不安が渦巻いているらしい。
将来、AIに駆逐される職業の代表格として、
公認会計士や税理士が挙げられているからねえ。
ということで、上の子も、
公認会計士試験は目指さずに、
一般の企業に就職することを選択しそうだ。
まあ、彼ら世代にとっては、
AIの発達というのは、
まさしく人生を左右する身近な問題なのだ。
私なんぞは、仕事をバリバリするのは、
せいぜい、あと10年くらいなもんだ。
10年くらいなら、AIに駆逐される心配はない。
もっとも、「知」の部分では、AIに敵うワケがない。
我々、弁護士も、AIとの共存は避けられないはず。
弁護士が扱う案件は、
「紛争解決」と「紛争予防」だ。
いずれにしても、
紛争というのは、「人」対「人」の問題。
紛争を開始するのも、終了させるのも、
最終的な意思決定者は、「人」である。
人の意思決定基準は、
大きく分けると3つある。
人の心の働きには「知情意」の3つがある。
「知」とは、「知性・知識・知能」のこと。
「情」とは、「感性・感情・気分」のこと。
「意」とは、「理性・意志・意見」のこと。
この3つの心の働きに対応して、
「知」=論理・打算・損得
「情」=衝動・直感・好き嫌い
「意」=価値観・倫理・善悪
という3つの判断基準で、
人間は意思決定をするということ。
この3つの判断基準において、
どこに、どれだけの「重みづけ」をするか、
これによって、同じ事象に対する判断は、
個々人によって千差万別となる。
だからこそ、紛争解決は一筋縄ではいかないのだ。
AIは、「知」の部分では人間を圧倒する。
だが、「情」と「意」の領域はどうだろうか。
「情」は、論理では理解不能だし、
「意」は、価値観を作れるのは人間だけだ。
つまり、AI自身が、
人間の感情や価値観に「共感」できない限り、
まだまだ、人間の出番は続くはず。
司法判断というのは、
事実認定→法的評価→規範適用
という段階を経て、最終結論を出す。
この「法的評価」と「規範適用」という作業には、
論理一辺倒ではない、人間的「さじ加減」が必要で、
これこそ、AIでは困難な作業の典型だ。
そう考えると、
弁護士業界の未来も、そう捨てたものではない。
私も、いよいよ、今年50歳を迎える。
仕事人生としては、「第4コーナー」だ。
そして、老後のセカンドライフとしては、
ようやく「第1コーナー」に入ったばかり。
仕事人生の「ラストスパート」と、
セカンドライフの「スタートダッシュ」。
ともに、ガンガン、攻めまくりたいもんすね。