沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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39)堕胎と中絶

 今月18日、「不同意堕胎」という犯罪容疑で、医師が逮捕された。事件の真相は、今後の捜査で明らかになってくるであろうが、報道されている限りのことがほぼ真実ならば、酷い話である。もちろん、無罪は推定されるが…。

 それにしても、「堕胎」(だたい)という言葉自体、耳慣れないだろう。一般的な用語である「人工妊娠中絶」と同義であるが、法律家である私でさえ、この罪名を耳にするのは、おそらく、司法試験受験(平成6年)以来だと思う。
 報道されているとおり、実務上、この罪名で捜査・起訴されること自体、極めて珍しいことだ。
 何故なら、母体保護法(旧:優生保護法)によって、「中絶」が合法化されてしまっているので、刑法の「堕胎」で処罰する必要性がほとんど無いからだ。

  現在、日本では、公式の統計数だけでも年間30万件ほどの中絶が実施されている。
 母体保護法では、「経済的理由」による中絶も合法化してしまっているので、この条項の拡大解釈によって、バンバン中絶が実施されているのが現状だ。
  望んでも子が出来ない方々からすれば、ツライ現実かも知れない。
 
 もちろん、上記の数字は公式の統計数なので、実態としてはもっともっと数は多いはずだ。
 母体保護法で合法化されている中絶は、妊娠22週未満とされているので、これを過ぎてもなお中絶をしたいという人達は、ヤミの世界で違法に堕胎をしているとも言われている。

 もともと、母体保護法の前身である「優生保護法」は、「優生学」に根ざした法律である。
 優生学というのは、「不良な遺伝子を持つ者を排除し、優良な国民のみを残して繁栄させる」という思想に基づく学問で、要するに、不良な遺伝子を持つ者は子供を産んではいけない、不良な遺伝子を引き継いだ胎児はこの世に生まれ出てはいけない、という差別思想だ。
 この考え方自体、現代の人権思想からすれば大問題だということで、世界的な非難の対象となり、1996年の法改正で、「母体保護法」という名称に変更され、人権上問題のある差別的条文も削除された、という経緯である。
 
 ところで、日本の刑法では、身籠もった胎児を堕ろすこと自体が「犯罪」である。この建前自体、母体保護法の存在によって、ほとんどの国民には浸透していないことだろう。
 今回の報道で、初めて「堕胎罪」の存在を知った方も多いはず。
 身籠もった本人(母)や配偶者(父)など、当事者全員が「同意」していても、身籠もった本人(母)に対する「自己堕胎罪」という罪名まで刑法には規定されているのだが、母体保護法の存在によって、刑法の条文は空文化し、中絶は全く抵抗なく実施されているのだ。

 変な話だが、刑法上、「胎児」は「人」ではない。当然、生物学的には立派な生命体に違いないのだが、とにもかくにも、刑法上は人ではないのだ。
 従って、胎児を死に至らしめても、殺人罪にはならない。
 かと言って、胎児を母親の一部と構成して、母親に対する傷害罪としてしまうと、母親の自傷行為を罰することは出来ないので、無罪となってしまう。
 胎児は人ではない、だが、将来は人となる存在なので、全く保護しない訳には到底いかない。
 そこで、殺人罪や傷害罪とは別に堕胎罪という犯罪が敢えて規定されたということだ。だから、母親が自分の意思で胎児を堕ろしても犯罪になるのだ。

 堕胎や中絶という問題については、デリケートな問題であるがゆえに、様々な意見があろう。
 堕胎は犯罪であることを厳格に貫くべきであるとする考え方から、中絶は女性の自己決定権の1つなので、基本的に中絶はフリーにすべきだとする考え方まで、両極端の考え方が依然として声高に主張されている。

 欧米では、キリスト教(特にカトリック)の影響もあり、中絶を認めるか否かが政治的大問題になることも稀ではない。
 プロテスタントが主流のアメリカでさえ、中絶を禁止すべきだとする保守派と中絶を基本的にフリーにすべきだとする革新派との間で、毎回毎回、大統領選挙の争点になったりもする。

 胎児は、立派な生命体の形をしている。妊娠が進めば、人間の形にどんどん近づいてくる。胎児に意思能力はないかも知れないが、ある段階以降は、感情らしきものも十分芽生えているはずだ。
 
 確かに、レイプなどの犯罪被害で不本意に身籠もってしまった女性の自己決定権は最大限に尊重されねばならない。
 だが、単なる避妊の不始末で安易に「中絶」をする風潮には、どうしても感情的な抵抗感がある。
 
 我が家には2人の子がいるが、子供のことでは悲しい体験もした。
 個人的には、この機会に、「堕胎」が原則としては胎児に対する犯罪であるということを、今一度認識し直して欲しいと思うばかりだ。