48)司法修習生の給与
- 2010年9月2日
- 弁護士・資格
司法修習生というのは、司法試験に合格した法曹(裁判官、検察官、弁護士)の卵である。
私どもの時代は、修習期間は2年間あり(今は1年間)、私自身、平成7年4月から2年間、この司法修習生という身分にあった。
司法修習生というのは、国家公務員に準じる立場とされ、修習は平日フルタイムで行われ、アルバイトは一切禁止である。
必然的に「働きながら学ぶ」ということは不可能になるので、これまでは、国費によって月額20万円程度の給与が支給されてきた。
ボーナスも支給されるので、年間350万円近い給与となる。
私は、司法修習生時代に結婚し、当初から妻は専業主婦となったが、給与だけで全く不自由のない新婚生活が送れた。
つくづく、本当に有り難いことであったと思う。
ところが、今年の11月からは司法修習生の給与が「廃止」となり、必要な者には生活資金を「貸し付ける」制度へと切り替わってしまう。
本当にバカバカしく、腹立たしいほどの「改悪」であると思う。
某新聞などは、「この財政難の時代、裁判官・検察官はともかく、民間人である弁護士を養成するために国費を投じる意味に乏しく、給費制廃止は当然の流れである。」という論調の社説を書いていたが、その認識レベルの低さに開いた口が塞がらなかった。
今の政府もマスコミも、国家を運営する「経営センス」が皆無である。
そもそも、国家にとって、国費で「人を育てる」目的は何なのかと言えば、将来、国に貢献してもらいたいが為であろう。
法曹の仕事が国に貢献する崇高なものだ、などと言うつもりはない。
1人1人の国民が、国に大いに貢献できることと言えば、ズバリ「納税」である。
国費で人を育てて、優良な納税者になってもらえば、国家が国費を投じた意味が十分あったということになる。
つまり、国費で人を育てるというのは、紛れもなく「投資」なのであって、何の役にも立たない「子ども手当」のような愚策に「浪費」するよりも、はるかに価値の高いことなのに、今の政府は、浪費は好きでも、投資は嫌いのようだ。
手前味噌だが、私が2年間の司法修習で頂戴した国費は700万円弱だったと思うが、弁護士になってからの14年間で納税した金額は、その何倍にも達している。
即ち、国家の側から見れば、「民間人」である弁護士の卵に投資した効果は十二分にあったということなのだ。
大体、「公務員を育てるのは結構だが、民間人を育てるのは怪しからん。」という発想自体がナンセンスである。
むしろ、公務員からの納税は、国費が「往復する」だけの話なのだから、民間人がドンドン稼いでジャンジャン納税した方が、よっぽど国益に適うというものだ。
ところで、今の司法修習生は本当にツライ境遇にある。
我々の時代は、第1関門の司法試験のハードル「だけ」が高かったが、それさえクリアーできれば、その後の心配は全くなかった。
ところが、今は、弁護士になろうと思えば、
第1関門 法科大学院に入学する
第2関門 法科大学院を卒業する
第3関門 司法試験に合格する
第4関門 司法修習修了試験(考試)に合格する
第5関門 法律事務所に就職する
という5つの高いハードルを越える必要がある上に、とにかく、やたらと「金がかかる」のである。
日弁連が2009年11月に司法修習予定者を対象に実施したアンケート結果によれば、回答者1528名中807名(52.81%)が法科大学院で奨学金を利用したと回答し、そのうち具体的な金額を回答した783名の利用者が貸与を受けた額は、最高で合計1200万円(!)、平均で318万円に上ったそうである。
この上、司法修習中の貸与制が導入されれば、これに300万円ほどの「借金」が上乗せされることとなり、弁護士としての生活をスタートする時点で、実に600万円もの借金(しかも平均額!)を抱えているという「異常事態」に陥ってしまう。
弁護士になったところで、「食えるかどうか」すら分からない時代である。
それなのに、600万円もの借金を抱えてまで、弁護士になりたいと思うのだろうか。
つくづく、今の制度は、弁護士になるのに、多くの「金」と「時間」と「リスク」を投じなければならないヒドイ制度だ。
法科大学院を卒業するのに3年、司法修習で1年、実に4年間もの間、働かずに勉強に専念せねばならない。
司法試験だって1発で受かればいいが、浪人したら、それだけ年数も延びる。
しかも、その司法試験は5年間のうちで3回しか受験できず、3回不合格になると「受験資格を失う」というゾッとするほど恐ろしい制度だ。
つまり、金と時間を大いに注ぎ込んだ法科大学院での勉強が、完全にムダに終わってしまうリスクがあるのだ。
結局、そのような「金」と「時間」と「リスク」を投じられる者って、どんな人間だ??
少なくとも、一旦、社会に出てバリバリ働き始めた人間には出来ないだろう。
最終的に、親が面倒を見てくれるであろう「金持ちの坊っちゃん・嬢ちゃん」以外は弁護士になるな、と国が言っているようなものだ。
司法修習生時代の給与が無ければ、私なんぞは弁護士にはなれなかったかも知れない。
我が家は、決して裕福ではなかったので、法科大学院に行こうと思えば、間違いなく借金することになったろうから。
私は、4年連続で司法修習生の実務指導を担当しているが、みんなマジメだし優秀である。
変な言い方だが、必ず、優良な納税者となるはずである。
経済的理由で、優秀な者が弁護士になるという選択肢をドンドン封じられてしまうことになれば、国家は、みすみす将来の「税収」の機会を逃してしまうこととなるのだ。
弁護士にもイロイロいるが、総じて言えば、みんなマジメだ。
だから、納税もキチッとやる者が多い。国家の側からすれば、良い「お得意さん」のはずなのに。
食えない弁護士が増えたって税収の足しにはならない、という考えをする人もいるかも知れないが、そうではない。
20:80の法則と言われるとおり、どこの国でも、税収は、上位の所得者(20%)が大部分(80%)の税収を支えているのだから、1人1人がどうこうではなく、全体として見れば、法曹養成には十分な「投資効果」があるのだ。
財政難を理由に将来の投資効果を潰してしまうというのは、どう考えても愚策なのだが、このような視点で論じるマスコミが全くないことも残念だ。
そもそも、財政難を理由に給与をカットするくらいなら、なんで、法曹人口激増などという必要性すら疑わしい政策をとったのか、と言いたい。
北欧などは、国民1人1人に「バリバリ働いてシッカリ納税してもらう」という根本思想で政策を実現しているのだが。
日本の政府・マスコミには、ホントに「経営センス」を磨いてもらいたいものだ。