99)士業の原価
- 2012年8月28日
- 経済・ビジネス
弁護士を含む「士業」というのは、特定の専門分野における「知見」を依頼者
に提供して対価を得る職業である。
従って、依頼者にサービスを提供するのに特段の原価(コスト)が発生しな
い、ローコストな仕事だ、などと言われる。
本当にそうだろうか?
確かに、他者から仕入れた商品を販売しているわけではないので、仕入という
概念自体は生じない。
その意味で、仕入原価というコストは発生しない。
だが、仕入原価が「タダ」だから、どんな些末な仕事でもやればやるだけ「儲
かる」なんて思っていたら、アッという間に、路頭に迷うことになろう。
士業が提供するサービスというのは、基本的には、依頼者ごとのオーダーメイ
ド商品であり、作り置きした在庫商品をそのまま提供すれば足るという仕事で
はない。
ということは、すべからく、専門家自らが依頼者と「1対1」で向き合って、
専門家自らの「時間」という有限財を「切り売り」せねばならない、というこ
とだ。
つまり、士業の提供するサービスの原価は「時間」ということなのだ。
そして、時間の経済的価値について、経済学的な言い方をするならば、「機会
原価」ということになる。
機会原価というのは、意思決定において、ある選択枝(オプション)を採用し
たときに、採用しなかった選択枝についての得べかりし経済的利益のことであ
る。
例えば、1年間で2000万円を稼ぐ弁護士がいた場合、この弁護士の年間労
働時間が2000時間だとすれば、この弁護士の1時間あたりの機会原価は1
万円ということになる。
即ち、この弁護士にサービス提供を依頼したければ、依頼者は1時間あたり1
万円以上のフィー(対価)を支払わなければ、依頼を引き受けてもらえないと
いうことだ。
逆に言えば、この弁護士は、1時間あたり1万円未満の仕事は、経済的観点か
らは「お断り」せねばならないことになる。
この「機会原価」の考え方は、資本主義社会で生きる全ての人が理解しておく
べき経済の基本である。
もちろん、時には家でダラダラするのも必要である。
だが、それは、外でバイトでもすれば得られたはずの収入(機会原価)を放棄
して、敢えて、家でダラダラすることを選択した結果なのである。
つまり、そのダラダラが「明日への活力」として「機会原価」よりも価値が大
きいと評価できなければ、そのダラダラは、経済的には「損失」であったと評
価されるという話。
もう少し法律チックな話題を取り上げれば、この機会原価を理解すれば、「な
ぜ、専業主婦にも休業損害が観念できるのか?」という問いにも答えることが
できよう。
確かに、専業主婦は経済的収入こそ得ていないが、外で働けば得られたはずの
収入(機会原価)を放棄して、積極的に家事労働に従事しているワケである。
とするならば、少なくとも、家事労働=機会原価という等式が成立しない限
り、そんなバカなことは誰もしないはずで、家事労働は機会原価と同等以上の
経済的価値があると判断されるのだ。
従って、交通事故の影響で家事労働が出来なくなった場合には、機会原価だけ
を浪費している状態が続くことになるので、専業主婦にも経済的損害が観念で
きるはずなのだ。
まあ、あまりこういう説明はされていないので、あくまでも私見ということで
はあるが。
ところで、先日も、司法修習生の「やる気のなさ」についてボヤいたばかりだ
が、弁護士が一定の時間を費やして何らかの活動するということは、そこには
必ず「機会原価」が発生しているのだということを、修習生諸君にはチョット
でも認識してもらいたいものだ。
そこの認識が共有されれば、教える側もグッと張り合いが生まれるんだけど
ね。