127)経営としての「奇跡のリンゴ」
- 2013年6月15日
- 経済・ビジネス
久々に泣いたねえ~~。
途中、何度泣いたか、分からないくらい(笑)。
現在公開中の映画「奇跡のリンゴ」は、主人公であるリンゴ農家の木村秋則氏が農薬アレルギーの妻のために、リンゴ栽培では不可能と言われた無農薬栽培に挑み、11年に及ぶ挫折と苦難を乗り越えて、ついに無農薬栽培を成功させるという人間ドラマである。
テーマが、夫婦愛とか人生訓ということもあって、映画館には小さな子は全くおらず、周りは、中年以降の夫婦がとっても多かったような。
もちろん、私ら夫婦も「右に同じ」だったワケだが(笑)。
それにしても、妻と2人っきりで映画を見たのって、何年ぶりだろうか。
これはこれで、実に新鮮だったねえ(笑)。
さて、この話、人生訓としては、次のようなメッセージが込められているのであろう。
あまり詳しく紹介すると、ネタバレしてしまうので、気になった方は、是非とも映画館へ。
1) 何事も、あきらめない限り、夢は実現する。
2) 人間(リンゴの木)は一人で生きているのではない。
木村氏によれば、「農薬を使っていると、リンゴの木が病気や虫と戦う力を衰えさせてしまうのさ。楽をするからいけないんだと思う。クルマにばかり乗っていると、足腰が弱くなるでしょう。」とのこと。
この映画、人間ドラマとしては最高である。
特に、私なんかは、木村氏の娘の一言に涙腺が決壊してしまった(笑)。
まあ、それはそれとして、ちょっと視点を変えて、ビジネス(農業経営)として考察してみるとどうだろうか。
木村氏が無農薬栽培に成功したのは20年以上も前である。
だが、その後、リンゴの無農薬栽培が一気に普及したという話は聞かない。
それに、自然農法ゆえだろうか、毎年の出荷量は安定しないらしいし、木村氏のリンゴが特別に美味しいというワケでもないようだ。
それでも、木村氏のリンゴは既にプレミアが付いているので、高くても売れるから、出荷量が少ない年でも相応の利益は維持されるし、講演や執筆等の副業収入だけで十分に生活していけるレベルだろう。
つまり、木村氏は、リンゴ農家として成功したということではなく、人間ドラマの主人公として、木村氏そのものがブランドになってしまったから、成功者の仲間入りをしたということなのだ。
やはり、この事実は決して見落としてはならない。
経営における至上命題は、「品質と供給量の安定」である。
木村氏以外のリンゴ農家が、無農薬栽培に踏み切れない理由は、品質と供給量が不安定だからということに尽きよう。
そもそも、経営というのは、すこぶる「人為的な営み」である。
いかに、自然農法ということを強調しようとも、人為的であることに変わりはない。
人為的に「良いモノを、できるだけ安く、たくさん作り、多くの人に売る」というのが経営に他ならない。
木村氏の場合は、愛する妻のために、採算は度外視してでも、無農薬栽培にこだわり抜く理由があったのだと言える。
だが、普通のリンゴ農家は、そのようなリスクは負えない。
経営理論というのは、先人たちの知恵の結晶であり、これを無視することはできない。
リンゴの無農薬栽培というのは、「品質と供給量の安定」が確保できない時点で、経営理論からは逸脱してしまう手法なのだ。
品質と供給量の安定が確保できない手法は、趣味や自給自足としてならともかく、事業者同士の継続的取引を前提とするビジネスとしては成り立ち得ないということだ。
消費者の手元に届くリンゴについて言えば、従来からの農薬を使った栽培だろうと健康に害は無いし、むしろ、格段に美味しいのは農薬栽培の方だ。
いろいろなビジネスに言えることだが、1人のカリスマ経営者が「非常識」な経営をして成功することがあっても、それは、そのカリスマ経営者自身が「ブランド化」しているから成功しているに過ぎないのである。
経営理論から逸脱した「非常識経営」をみんなが真似したら、みんなで沈没してしまうことになる。
中小企業診断士というのは経営理論を習得した専門家である。
弁護士というのは法律理論を習得した専門家である。
経営者たる者、外部の専門家をうま~く活用して、是非とも、「常識的経営」を全うしてもらいたいものだ。
会社の使命が「社会貢献」にあるならば、
社長の使命は「会社を潰さない」ことに尽きるのだから。