32)嫌消費世代?
- 2010年2月25日
- 経済・ビジネス
最近の若者は、どうも「消費しない」らしい。
株式会社日本マーケティング研究所の松田久一氏によれば、「嫌消費世代」なんだそうだ。
定義はいろいろあるようだが、今の20代の若者たちを指すと考えればよい。
このような「消費しない若者」をテーマにした本も多数出版されている。
ちょっと調べただけでも、次のとおりだ。
「『嫌消費』世代の研究~経済を揺るがす『欲しがらない』若者たち」
(松田久一著、東洋経済新報社)
「欲しがらない若者たち」
(山岡拓著、日本経済新聞出版社)
「なぜ若者は保守化するのか~反転する現実と願望」
(山田昌弘著、東洋経済新報社)
「情報病~なぜ若者は欲望を喪失したのか~」
(三浦展・原田曜平著、角川書店)
これだけの本が次々に出されていることからすれば、指摘されている内容は、ほぼ事実なのだろう。
嫌消費世代が最も買わないのが3K(クルマ、家電、海外旅行)らしい。
松田氏の著作本には、表紙に「クルマ買うなんてバカじゃないの?」という太字の文句が記されており、「ギクッ」とする中年世代も多いはず。
昔のステレオタイプの価値観から言えば、クルマはステータス・シンボルだった。今でも、中年以降の世代にはそうだろう。「カローラからスタートして、マーク2などいろいろなクルマを経て、最後はクラウン・セルシオ」というのが定番のステップアップ人生だったはずだ。
かく言う私も、1000ccのクルマからスタートして、1300、1500、2000、2300と、私の体の肥満化に合わせるかのように、エンジンも順調(?)に肥大化してきた。
嫌消費世代からすれば、まさしく「バカの典型」なのかも知れない。
私が大学生の頃、時代はバブル経済真っ只中だった。
学生の分際で、クリスマスともなれば、高価なプレゼントを用意し、高級外車とタキシードをレンタルして、高級レストランを予約、ついでに、都心のシティホテルまで予約する、なんていうことが当たり前のように行われていた。私の同級生でも何人かは実践していた。
その代わり、夏の間に必死でバイトするのである。
さすがに、私はそこまでの過激なノリには付いて行けなかったが、夏にバイトして冬に思いっきりスキーで散財するという程度の無茶は実践していたので、「バカさ加減」では似たようなものなのかも知れない。
いや、スキーやゴルフといった金のかかるスポーツに興じること自体、「バカ」と言われてしまうのだろう。
考えてみれば、今の20代までの世代というのは、社会の仕組みが分かってきた頃には、既にバブル経済が崩壊していて、経済が上昇していく様を全く実感しないまま社会に出された世代である。
おそらく、「インフレ」や「物価上昇」というのは現実の社会では起こり得ない「架空の経済理論」という感覚なのではあるまいか。
当然、彼らにしてみれば、「経済はどんどん悪化していく」のが常識なのだから、将来のリスクにつながるような消費や必要のないムダな消費はしないに決まっているのだ。
だからこそ、ローンを組んでまでクルマや大型液晶テレビを買うのは「バカ」だと思っているし、海外旅行に行ったり、高級レストランで食事をしたりすることも、思いっきり「ムダ」なことだと映るのだろう。
今の若者は、そもそも固定電話を持たないし、パソコンだって持たない。大型液晶テレビなんて、なおのことだ。
持つのは、携帯電話1台のみ。
携帯電話にさえ投資すれば、それだけで、電話・メール・ネット、そしてデジカメ・ワンセグTVまでもが、全てそれなりに充足されてしまうのだから、その他の機器が必要ないのは当然と言えば当然なのだ。
国家経済の観点からは、若者たちが消費しないということは大変な危機的事態である。消費がこのまま低迷すれば、経済はさらに悪化するばかり。
そして、より深刻なのは、彼らが、不況で収入が低いから消費しないのではなく、彼らの世代に「ムダに消費するのはバカだ」という「共通の価値観」が定着しまっていることだ。
つまり、将来、景気が回復しても、彼らは一気に消費に走ることはなかろう。
そうなると、本来、20代~30代の需要が極めて多いはずのクルマや家・家財・家電・海外旅行といった物・サービスがどんどん売れなくなるのだ。
だが、彼らの消費抑制傾向を嘆く前に、そもそも、時代が変わったということを上の世代が十分に認識すべきであろう。
むしろ、彼らの消費抑制傾向というのは、成熟経済社会の当然の帰結ではなかろうか。
まさしく、携帯電話1台さえあれば、この目まぐるしい情報社会においてすら、何ら不自由のない生活が送れるのである。
次々に世の中に送り出される新商品は、どんどん使わない機能が付加されていくばかりで、言ってみれば「過剰品質」の「ムダな物」である。
数世代前の商品でも、実用的には十分すぎるのだから。
確かに、「嫌消費」という価値観は、国家経済の観点からすれば危機的状況なのかも知れないが、「嫌消費」世代と呼ぶこと自体、如何にも「消費=美徳」の感が漂っており、時代錯誤であろう。
むしろ、彼らの感覚の方が今の時代にはマッチしているのだから、「賢消費世代」と呼ぶのが正しいはずだ。
いずれにせよ、将来的には「賢消費」が日本の主流の価値観になってくるに違いない。
それまでに、「賢消費」の価値観にマッチした商品開発をしていかねば、それこそ国家経済は暗礁に乗り上げるであろう。
どうしたらよいのかは経済界に知恵を絞ってもらうとしても、コペルニクス的発想の転換が必要なことは間違いなさそうだ。