62)権利ではなく義務として
- 2011年4月6日
- 法律・政治
4月3日付け日本経済新聞によれば、厚生労働省は、東日本大震災の津波や地震による行方不明者の「失踪」認定を「1年」から「3ヶ月」に短縮する法案を準備することになったそうだ。
遺族が遺族年金などを受け取るには、当然ながら、対象者の「死亡」が認定されねばならないが、行方不明者の場合、客観的に「死亡」を証明する手段がない。
そこで、民法は、「失踪宣告」という制度を設け、「7年間」生死不明の者がいれば、家庭裁判所で失踪宣告を受けることで、当該7年間が経過した時点で、その者は「死亡」したものとみなす、と定めている。
そして、戦争や災害等の場合には、戦争や災害等の後「1年間」生死不明であれば、同様に失踪宣告を下せるとしており、戦争や災害が終わった時点で、その者は「死亡」したものとみなされるのだ。
今回は、特例として、この「1年間」を「3ヶ月」に短縮しようという話だ。
この特例法が成立すれば、被災者遺族は、今夏には遺族年金などを受給できる可能性が生じる。
被災者には、一刻も早い経済的支援が必要であるから、この法案自体は大変結構なことであり、何ら異論なく国会も通過するであろう。
だが、今回の震災は、従来の震災とは異なり、津波によって、何もかもが跡形もなく失われてしまっているため、大半の被災者は、極度の「情報不足」に陥っていると思われる。
このことは極めて深刻な事態を招きかねない。
遺族年金などのように公的な制度であれば、被災者でも、ある程度の見当はつくので、正確な情報にアクセスすることができようが、民間の保険などであれば、とてもそうはいかない。
人によっては、どの会社に保険請求をしてよいかすら全く分からないからだ。
通常の死亡のケースであれば、「自宅」に書類が保管されているし、「自宅」宛に定期的に何らかの通知が届いたりするので、遺族においても、よほどのことがない限り、情報の把握「漏れ」は生じない。
だが、今回は、その「自宅」そのものが無くなっているので、書類は全く現存しないし、各業者からの通知も一切届かないので、もともと頭の中に「財産情報」が正確に入っていなければ、情報の把握「漏れ」は不可避的に発生してしまう。
そもそも、どれほどの人が、家庭の「財産情報」を正確に保有しているのだろうか。
例えば、生命保険・損害保険・預貯金・有価証券・投資信託・貴金属積立・各種社会保険・各種共済などなど、どの金融商品がどの会社のものか、夫婦揃って全てを把握できている家庭は、ごくごく少数派であろう。
ちなみに、我が家は全て私が財産の管理・運用をしているので、私自身は全て把握しているつもりだが、妻に至っては、相当に「あやしい」と思う。
今回のような災害で、私にもしものことがあった場合、おそらく妻一人では「漏れなく」対応することは不可能に違いない。
今回のことで、我が家においても、妻には全容を正確に把握してもらわねばならない、と強く思った次第だ。
夫婦の間ですら情報の共有が難しいのに、子供たちだけが生き残ったなどという場合には、もうどうしようもなかろう。
ここは、政府主導で思い切った方策を取るしかない。
各業者が、個々にホームページなどで情報提供してもダメである。遺族が、一々、全業者のホームページにアクセスすることなど到底ムリな話だからだ。
全ての窓口を一本化しない限り、全く実効性はない。
考えられる方策としては、日本国内の全ての公的機関・民間業者に対し、今回の被災地付近に住所がある全ての契約者名を政府の一本化した窓口に集約してみることだろう。
カタカナ表記の契約者名だけをデータ化するだけでも、「この氏名であれば、生命保険はA社、地震保険はB社、預貯金はC銀行・D信用金庫と取引されている可能性があります。」という大雑把なアナウンスが可能となる。
このようなボヤーッとした情報だけでも提供できれば、後は、個々の業者に直接問い合わせることで詳細な情報を入手することも可能となろう。
もちろん、このような方策は、素人的発想でパッと思い付いただけのことなので、あらゆる法律上・事実上の障害があるのかも知れないが、政府主導で、何か思い切った「特例措置」を講じないと、このままでは、相当な数の「請求漏れ」が生じてしまうことだけは必至だ。
今回の震災に限っては、保険金などを請求するのは「個人の権利」なのではなく、保険金を漏れなく支払い切ることこそが「国家の義務」とされねばならない。