沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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63)補償か賠償か

 一昨日(4月13日)、東京電力の清水社長が会見を行い、福島第1原発事故について改めて謝罪をするとともに、避難住民や周辺農家への「補償」に関し、「当面必要な資金の仮払いを検討している。」と発表した。

 ただ、大震災発生から1か月が経過してしまっており、この会見は遅きに過ぎた感が否めない。

 一説によれば、人間が「気を張って」いられるのは「3週間」が限度だそうだ。被災者の気力が限界を超えてしまっているタイミングで、このような発表をされてもなあ、というのが率直な感想だ。
 しかも、一昨日の会見においてですら、仮払いの金額や時期については、まったく不透明なままで、当然ながら、清水社長は、記者たちから集中砲火を浴びていた。

 経営トップの仕事は、「意思決定」と「責任を取る」ことの2点に尽きるとも言われるが、トップとしての決断の遅さ・思い切りの悪さには、どうしても苛立ちを覚えるところだ。

 個人的には、電力供給という全く競争のない業界における超巨大企業ゆえ、顧客志向のビジネス文化が全く育まれてこなかったのではないか、とも思ってしまうのだが…。

 それは、さておき、一昨日の会見についてのマスコミ報道は、「補償」という言葉と「賠償」という言葉が入り乱れており、新聞も各社によって表現が異なっているようだ。

 だが、清水社長の口から「賠償」という言葉は聞かれなかったように思う。

 確かに、日常用語としては、補償も賠償も「損害を償う」という意味で同義だろうが、法律用語としては、全く別物である。

 補償というのは、加害者の法的責任(過失)の有無に関わらず、被害者救済の観点から、政策的判断として、特別に損害を償うことである。つまり、たとえ適法行為(無過失)であっても損害を償うというものだ。
 一方、賠償というのは、加害者の法的責任(故意・過失責任)に基づき、法的判断として、被害者の損害を償うことである。つまり、加害者の行為は違法(不法行為)であることが前提となる。

 この使い分けは、法律の名称を比較すれば、ハッキリと理解できる。
 例を挙げれば、自賠責保険と労災保険である。
 前者の根拠法は「自動車損害賠償保障法」といい、後者の根拠法は「労働者災害補償保険法」という。
 自賠責保険は、あくまでも加害者に法的責任があることが前提であり、加害者が無過失であったり、加害者の運転と事故との間に因果関係がなければ、被害者への「賠償」はなされない。
 一方、労災保険は、雇用主の法的責任の有無は問わないので、雇用主が無過失であっても、被害者(労働者)救済の観点から、一定額の「補償」をしてくれるというものだ。

 同じようなことは、「国家賠償法」と「刑事補償法」の違いでも分かる。
 刑事裁判で被告人が無罪判決を受けると、被告人は、国(検察官)の過失の有無に関わらず、一定額の「補償」を請求できる。
 今年初めに、足利事件で再審無罪となった菅家さんに対し、刑事補償金8000万円の支払が決定されたということがマスコミで話題となったが、これは、あくまでも「補償」なのだ。
 万が一、国(検察官)に過失があったとすれば、別途、国の不法行為責任を追及して国家賠償請求が可能である。
 先日、主犯の元検事に対して実刑判決が下された郵便不正事件については、村木元局長が国家賠償請求訴訟を提起している。これなどは、過失を通り越して、元検事の「故意」による不法行為ゆえ、「賠償」してもらうのは当然ということだ。

 以上のごとく、「補償」と「賠償」とでは、意味するところが異なるのだ。
 端的に言えば、補償においては、たとえ被害者の損害額が全部填補されていなくても、被害者としては、それ以上の請求は出来ないが、賠償であれば、被害者としては、損害額が全部填補されるまで請求できる、という理屈になる。
 この違いは、被害者にとっては、あまりにも大きい。

 今回の原発事故でも、東京電力に法的責任があるのならば、東京電力は最後の最後まで「賠償」責任を尽くさねばならないが、法的責任がないのならば、東京電力の自発的意思によって、東京電力が決める一定額を「補償」して終わりということになる。

 会見の一部始終を全てチェックしたわけではないが、おそらく、東京電力の清水社長は、意識的に「補償」という用語を使っていたものと思われる。
 経営トップとしては、軽々に「賠償」という用語は使えないのが通常だからだ。

 ところで、原発事故については、特別法が存在する。
 原子力損害の賠償に関する法律(原子力損害賠償法)というものだ
 この法律の名称には「賠償」という用語が使われている。
 そう、つまりは、加害者の「法的責任」を定めた法律だということだ。

 この法律には、「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。」(3条1項本文)との規定がある。
 原子力事業者というのは、今回の場合でいえば東京電力であるが、この法律のすごいところは、原子力事業者の過失の有無は問われていないところだ。
 要するに、一旦、原発事故が発生したら、問答無用で、無過失でも全責任を負えということなのだ。

 とすると、今回の事故では、当然に東京電力の法的責任が問えそうであるが、法的判断としては、そう簡単ではない。
 なぜなら、同条項には「但し書き」が存在するからだ。
 いわく、「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない。」と。

 どうだろうか。
 マグニチュード9.0という巨大地震が「異常に巨大な天災地変」に該当するか否か。
 おそらく、大きく意見は分かれるところだろう。

 個人的には、この法律が制定された趣旨も踏まえ、60年に5回も起きている程度の大地震は、「異常に巨大」とされるべきではなく、東京電力は法的責任を負うものと判断している。
 だが、東京電力が自発的に法的責任を認めなければ、法廷闘争にまで発展しかねない。

 法廷闘争にまで至れば、被災者の経済的復興が、とことん遅れてしまうことは目に見えている。
 今回のような震災を敢えて「想定」しなかっただけでも「人災」に該当するのだから、法廷闘争などという馬鹿げた「人災の上塗り」は是非とも回避して頂きたい。

 やはり、一昨日の会見において、清水社長の口からは、ハッキリと「賠償」という言葉を聞きたかったものだ。