1)定額給付金と2月2日生まれ
- 2009年4月23日
- 法律・政治
いよいよ当事務所のホームページが完成した。今後、このホームページも、当事務所の成長とともに大切に育てていきたいものだ。
ところで、いよいよと言えば、定額給付金も支給開始となった。
ここで定額給付金の是非について論じるつもりはない。貰えることが決まった以上は、18歳未満の子を2人抱える我が家としては、有り難~く「消費」に回したいと思っている。
定額給付金の政策趣旨が、いつの間にやら、生活支援(社会政策)から景気浮揚(経済対策)に変わってしまった(?)ようだが、我が家は、既に使い途を決めていて、チケットも予約してしまった。その使い途というのは、シルク・ドゥ・ソレイユの「コルテオ」公演を家族全員で見に行くというものだ。つまり、政策趣旨どおり(?)景気浮揚にささやかながら貢献したいと願っている。チケット予約の金額を見たら、何と、定額給付金との差額はわずか400円(!)という見事な使い切りであり、ひそかに自画自賛している。妻の両親も招待することにしているが、今からワクワクである。
ところで、平成21年2月1日を基準日として、65歳以上と18歳以下には2万円が支給されるが、この前、テレビを見ていたら、「法律の規定によって、
1) 昭和19年2月2日以前に出生した人
2) 平成2年2月2日~平成21年2月1日に出生した人
が対象となるそうです。」などと報じていた。
何故そうなるのかという説明は一切なく、反射的に、「法律によって?あれ?」と思ってしまったが、すぐに、「ああ、そういうことね。」と思い直した。
人の年齢というのは、一般的には、誕生日当日に満年齢を迎えると思われているが、「法律」によれば、誕生日の「前日」に満年齢を迎えることになる。
テレビの前で、「なんで、昭和19年2月2日生まれの人が65歳に含まれるのだろう?」と疑問に思った方もいただろうが、法律的にはこれは正しいのだ。
法律の規定がどうなっているかと言うと、こうだ。
まず、「年齢計算ニ関スル法律」というのがあり、「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス」と規定している。つまり、生まれた日は「生後1日」とカウントされる。
次に、「民法143条2項」では、「…期間は、…年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。」と規定しており、年齢にも準用されるので、誕生日の前日に満年齢を迎えるというわけだ。別の言い方をすれば、誕生日には「満年齢+1日」となっているのである。
学生時代、何故、「4月2日」が一番早い誕生日で、「4月1日」が一番遅い誕生日なのか、とても不思議であった。要は、年度末である3月31日を基準日として、同じ学年の人は全員「同じ満年齢」(まさしく同い年)を迎えているということなのだろう。
そうすると、平成2年2月2日生まれの人は、平成21年2月1日を基準にする限り、既に満19歳を迎えているので、本来であれば、定額給付金2万円の支給対象ではないはずだ。
しかし、どうだろうか。法律どおりに、この人を2万円の支給対象からはずしてしまったら、窓口は相当混乱するであろう。「うちの子は2月2日生まれなんだから、18歳のはずじゃないの!納得できないわ!責任者をすぐ呼んでちょうだい!」といった苦情が窓口で展開される図が容易に想像できる。
おそらく、このあたりの混乱を避けるべく、特別に平成2年2月2日生まれの人は支給対象に「昇格」させたのであろう。法律的には、ちょっと「お得」な結果となっているわけだ。権利が拡大されているだけなので、誰も文句は言わないし、マスコミも特には取り上げていないようだ。
それにしても、一般の感覚からすれば、この年齢の規定は分かりにくい。
分かりにくいついでに言うと、「日」を基準とする限りは、確かに誕生日前日に満年齢を迎えるのであるが、問題とされる行為の「時点」を基準とするならば、誕生日前日の午後12時(24時)が経過しないと満年齢は迎えないのである。例えば、酒やタバコは、20歳の誕生日前日ではアウト(違法)なのだ。「俺はなあ、明日が誕生日なんだから、もう20歳なんだよ!警官のくせに法律も知らんのか!」などと知ったかぶりしても、警察官を怒らすだけなので要注意。
結局は、「日」を基準とするか「時点」を基準とするかは、各法律の規定によるのだが、一般の感覚に合致するように統一的に法律を作れればいいのに、と思ってしまう。別に難しいことではなく、全ての法律の年齢に関する規定を「時点」を基準に定め直せばよいだけのはずなのである。まあ、面倒だし、選挙にもつながらないので、やらないのだろうけど。
ちなみに、私はPL学園のKKコンビと同世代だ。中高6年間、毎年甲子園に応援に行ったことが懐かしく思い出されるところだが、もしも、4月1日生まれの桑田(誕生日は私とわずか1ヶ月違い)が、法律の規定の仕方によって「早生まれ」でなかったとしたら、PL学園の黄金時代は無かっただろう。そう考えると、年齢の数え方一つで「歴史」が変わってしまうこともあるということだ。このあたりの「偶然」が巻き起こす展開も実におもしろい。