92)生活保護と扶養義務
- 2012年6月11日
- 法律・政治
高額所得の「売れっ子お笑い芸人」の実母が生活保護を受給していたとして、連日、生活保護に関する話題がマスコミを賑わしている。
多くのマスコミの論調は、過激な個人攻撃も含め、子が親を扶養するのは「当たり前」のことで、扶養義務を果たさないでも許されてしまう現状の制度に欠陥があるというトーンで一致している。つまり、もっと厳格に運用して、生活保護を受給しにくくせよと言わんばかりである。
しかしながら、生活保護というのは、セーフティネットにおける本当に「最後の最後の砦」であり、これを厳格に運用せよというのは、まさしく「暴論」と言える。
生活保護制度は、憲法25条(生存権=健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)に由来する国家としての「責務」に他ならないからだ。
ただでさえ、生活保護を受給すること自体を躊躇しがちなのに、今後、この問題を契機に、真に生活保護を受給すべき生活困窮者達が、セーフティネットから次々に漏れ落ちてしまわないか、不安は募るばかりだ。
扶養義務者や不正受給者の存在を根拠として、「入口段階」での運用を厳格にすべきだという論法は、セーフティネットを論じる上では「御法度」である。
なぜなら、真に生活保護を必要としている人達は、明日を生きる糧すら無い困窮者達であり、まさに「喫緊の援助」を要するからだ。
そう、極端な話、今すぐにでも援助しなければ、命を落としかねない者だっているワケだ。
仮に裕福な扶養義務者がいたところで、現実に、その者が扶養義務を迅速に履行してくれなければ、扶養請求権自体が「絵に描いた餅」で終わってしまうのだ。
要するに、今すぐに生活費が手許に届くか否かという「現実」こそが全てなのである。
即ち、セーフティネットの構築においては、絶対に「事前規制」はダメ!!なのだ。
不誠実な扶養義務者に対しては、あくまでも「事後監視」の中で、その者から適正金額を徴収していく制度を設計すれば足りる。
また、不正受給者に対しても、「事後的」に強力なペナルティを与えればよかろう。
このあたりの感覚は、たとえ10人の真犯人を取り逃がしたとしても、たった1件でも冤罪(えんざい)を出してはならない、という刑事司法の理念に通じるものがあろう。
ところで、今回問題となったお笑い芸人たちは、いずれも、生活保護受給者の「子」という立場の者である。
つまり、子が親の「扶養義務者」とされたのだ。
確かに、民法877条には、次のような規定がある。
第1項 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。
第2項 家庭裁判所は、特別の事情があるときは、……、三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。
ここで、第1項に規定される扶養義務者を「絶対的扶養義務者」と呼び、第2項に規定される扶養義務者を「相対的扶養義務者」と呼ぶ。
つまり、子は、親に対する「絶対的扶養義務」を負っているワケだ。
だが、ここで注意しなければならないのは、その「程度」である。
ここの説明がマスコミの論調では完全に抜け落ちている。
扶養義務の「程度」には、実は2パターンある。
1つは「生活保持義務」というもので、もう1つは「生活扶助義務」というもの。
生活保持義務というのは、簡単に言えば「自分自身と【同程度の水準】まで扶養することが求められる義務」である。
かかる義務が適用されるのは、
1)夫(妻)の妻(夫)に対する扶養義務と、
2)親の未成熟子に対する扶養義務
の2つのケースに限られる。
民法752条は、前述の民法877条とは別に、
夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。
と規定しており、これは、民法が未成熟子扶養義務を含む夫婦間扶養義務を「特別」なものとして、親族間扶養義務とは明確に区別したからだと説明されている。
婚姻費用分担金(生活費)や養育費が、現実の年収額をベースに「青天井」で高額になる可能性があるのは、まさに「生活保持義務」だからなのだ。
この点は、下記ブログ記事を参照されたい。
http://www.soleil-mlo.jp/blog/eia/1241/
一方、生活扶助義務というのは、簡単に言えば「自分自身の社会的地位相応の生活を犠牲にすることなく、【余力の範囲内】において、【最低限度の生活】を維持するに足りる程度まで扶養する義務」である。
比喩的に言えば、目の前に1杯の「かけそば」しか無いとき、その1杯のかけそばを半分ずつに分けなさいというのが生活保持義務で、そんな必要はないというのが生活扶助義務である。また、目の前に「かけそば」と「天丼」が2杯ずつあったとき、かけそばと天丼を1杯ずつ分け与えなさいというのが生活保持義務で、かけそば1杯だけを分け与えればよいとするのが生活扶助義務というワケ。
今回の件で問題となった「子の親に対する扶養義務」というのは、この「生活扶助義務」に該当する。
従って、子が如何に高額所得者であっても、そのことだけでは、子の生活に「余力」があったか否かは判別できないワケで、高額所得者だからケシカラン!という議論は短絡に過ぎるのだ。
聞くところによれば、今回、名の挙がった1人については、親が住むためのマンションをローンで購入し、たまたま、諸事情が重なって、親自身も働けなくなったという事情のようだ。
その住宅ローンの額が月額40万円ということで批判の対象になったようだが、自分自身の生計維持とは別に月額40万円も支払っていれば、まさに「余力はない」であろう。
実際、住宅ローンを完済した後は、生活保護を打ち切る予定だったそうなのだから、これこそ、生活保護制度の理念に沿った「お手本」のような姿勢とも言える。
月額40万円という点に庶民感覚から強い反発が出ているようなのだが、芸能人のような人気に左右される商売の場合、長期の住宅ローンを組むこと自体が困難なのである。
従って、結果的に短期のローンとなり、毎月の負担額が高額になったことはやむを得ないことであろう。
もう1人の芸人については、売れていない時代に親が生活保護を受給し始め、その後、売れっ子になってからもズルズルと生活保護受給を継続したという事情のようなので、こちらについては非難されても仕方が無いのかも知れない。
だが、そうは言っても、如何に理不尽であっても、扶養義務者が扶養義務を適切に果たさないケースは幾らでもあり得るのだから、まずは、国家が責任を以て、迅速かつ適正に生活保護支給を実践する強い姿勢を示さねばならない。
そう、生きるか死ぬかに直面する生活困窮問題は、こう「すべきだ」という理想論・規範論では到底解決できない、今まさに、こう「である」という現実論そのものなのだから。