18)なるか「脱官僚」
- 2009年10月1日
- 法律・政治
政権交代が実現してからというもの、民主党の各大臣による「脱官僚」に向けた動きが盛んである。
特に、あらゆる政策の「ムダ」を徹底的に見直す姿勢には大いに賛同できる。
従来の官僚政治は、「ムダ」の排除どころか、「国益」という名の「省益」追求によって、壮大なる「ムダ」が生み出され続けてきた歴史であり、この際、真の意味での「国益」追求の観点から全ての政策を精査することが出来れば、本当に素晴らしいことだと思う。
ところで、官僚というのは、自省の予算を勝ち取り、ハコモノとポストを作ることで評価されるという摩訶不思議な世界で生きている。
そこにコスト意識などあろうはずがない。むしろ、コスト(人・物・金)を増大させていくことが美徳なのであり、コスト削減などを声高に唱えようものならば、たちどころに出世の道は閉ざされることだろう。
つまり、組織を肥大化させていくこと、それ自体が究極の「目的」なのであり、そのための政策立案は単なる「手段」に過ぎない、という歪んだ世界なのだ。
即ち、通常の企業経営の理念(チャンドラー氏の「組織は戦略に従う」という命題など)とは真逆の価値観なのであり、官僚の発想が国民に理解不能である最大の理由もここにあるのだろう。
だが、個々の官僚を非難しても始まらない。官僚制の問題は、官僚個々人の資質云々というレベルの話なのではなく、官僚制というシステム自体に内在する問題点だからだ。
イギリスの歴史学者・政治学者であるパーキンソン氏が唱えた「パーキンソンの法則」というものがある。いわく、次のとおりである。
(第1法則)
「公務員の数は、為すべき仕事の量に関係なく一定の割合で増加する。」(→結果、組織の拡大に伴い、ムダな業務がどんどん増えていく。)
(第2法則)
「財政支出の額は、収入の額に達するまで膨張する。」(→結果、予算は何が何でも全額使い切る。)
(第3法則)
「拡大は複雑化を意味し、複雑化は組織を腐敗させる。」
パーキンソン氏は、組織において「人」と「金」が膨張し続ける理由として、(1)役人は常に自分の部下を増やすことを望むが、自分の競争相手を持つことを望まない、(2)役人は相互の利益のために仕事を作り出す、という2つの習慣があるからだと指摘している。
まさしく、日本の官僚制が陥っている腐敗した現状にピッタリと当てはまる法則であるが、この法則は、イギリスの学者がイギリスの官僚制をモデルに指摘した法則であることに留意すべきである。
つまり、日本の官僚制だけに問題があるのではなく、官僚制というシステム自体がいずれは腐敗する運命にある、という万国共通のメッセージが託されているのだ。
日本の官僚制は、各省庁において、事務次官をトップとする厳格なピラミッド構造で成り立っており、事務次官の同期連中は全員が「出世競争に敗れた者」として早期に民間に天下っていくというシステムを巧みに作り上げてきた。
まさに、「部下を増やし、競争相手を作らない。」というパーキンソン氏が指摘したとおりの習性が根付いているわけだ。
この点に関し、本年9月28日付けの日経新聞で、片山善博氏は、興味深い主張をされていた。いわく、「事務次官ポストを廃止すべきである」と。
官僚社会の中で生き続けてきた同氏の発言だけに、「脱官僚」の本質をズバリ突いたものだと思う。
事務次官ポストが無くなれば、事務次官と同期の連中が一斉に退職するという悪しき因習も無くなるかも知れないし、そうなれば、必死で天下りポストを開拓する必要性も無くなるであろう。
また、官僚社会のトップという象徴的存在が消失することで、官僚だけで完結するピラミッド構造が崩れるので、「政治家がトップである」という当たり前の事実が官僚達の「意識」としても定着し易くなるのかも知れない。
新政権が、事務次官等会議を廃止したのは大きな一歩として評価すべきである。 おそらく、今後、官僚達の計り知れない「猛烈な抵抗」が待ち受けているだろうが、政権交代という絶好の機会を活かして、何としても「脱官僚」を実現してもらいたいものだ。