30)子は平等のはず
- 2010年2月5日
- 法律・政治
本年1月10日付けの新聞報道によれば、法務省は、下記の見解を示したとのこと。
いわゆる「性同一性障害」との診断を受け、「女性」から「男性」へと戸籍上の性別を変更した「夫」が、第三者の精子を使って「妻」との間で人工授精によってもうけた子は「嫡出子」(ちゃくしゅつし)とは認められない。
従って、「非嫡出子」(ひちゃくしゅつし)としての届出しか受理しない。
要するに、以前は女性だった「夫」とその「妻」が人工授精でもうけた子を「夫婦の子」として届け出ようとしたら、行政が拒否したという話だ。
前提知識がないと非常に分かりにくいので、まずは、簡単に知識の整理をしていきたい。
性同一性障害については、2004年7月に「性同一性障害の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下「特例法」)が施行され、一定の厳格な要件を充足した者は、戸籍の性別を変更することが可能となった。
特例法4条1項によれば、「性別の取扱いの変更の審判を受けた者は、民法その他の法令の規定の適用については、その性別につき他の性別に変わったものとみなす。」とされている。
即ち、以前女性だった者は「夫」として「女性」と適法に結婚できるわけだ。
また、嫡出子というのは、簡単に言えば、「結婚している夫婦から生まれた子」という意味である。
時代劇などで、「我は、○○家の嫡男△△なり。」などという台詞が登場するが、嫡男というのは「嫡出の長男」ということで、「正室が生んだ正統な本家の跡継ぎ」というアピールが多分に含まれている。
他方、非嫡出子というのは、「嫡出でない子」であり、婚外子のことである。
民法上、子は、「実子」と「養子」に区分され、嫡出子も非嫡出子も、ともに「実子」というカテゴリーに属する。
だが、その扱いは、非常に差別的であり、民法は、非嫡出子の法定相続分は、嫡出子の法定相続分の「2分の1」と規定している。
非嫡出子として届け出た場合、戸籍の記載上は、父親の欄は空欄のままである。つまり、法律上は「父なき子」となってしまう。
この子が「父」を得る手段は2つしかない。
実父に「認知」してもらうか、他人と「養子縁組」するかである。養子縁組の実現には、養父となる者の自発的意思が必要不可欠だから、子の自由にはできない。従って、実際上は、実父の認知が極めて重要な意味を持ってくる。
実父に認知してもらって、ようやく、実父との「親子関係」が築かれるので、前述のとおり、嫡出子の2分の1の法定相続分を獲得できる。
だが、認知してもらえなければ、「父なき子」のままであり、相続すら出来ない。
実父による自発的な認知が期待できなければ、「認知の訴え」という訴訟を起こさねばならぬが、DNA鑑定などで「遺伝的な父子関係」を立証していく必要があり、時間も費用もかかる。場合によっては、敗訴もあり得る。
ところで、民法は、養子縁組をした場合には、養子は養親の「嫡出子の身分を取得する」と規定している。
しかも、養子の場合、養子縁組をしても実親との親子関係は継続し、実親と養親の双方から二重に相続できる。
初めて聞けば、「何だそりゃ?」と思うはずだ。
非嫡出子は、認知されても差別を受けるのに、血縁関係すらない養子は、嫡出子と同等だと言うのだから。
民法は、わざわざ「実子」と「養子」を区別しておきながら、養子は実子である嫡出子と同等だっていうんなら、最初から、実子と養子を区別する意味はどこにあったのだろうか。
結局、民法は、「遺伝的な親子関係」(血縁関係)よりも「社会的な親子関係」(契約関係)を重視しているということか。
とすると、「非嫡出子」の差別理由は、「親が望まなかった子」だから?
だが、親のエゴを子に押しつけることが、如何なる論拠によって正当化され得るのだろうか。
正室や側室が存在して、嫡男が家督を相続するという大昔ならともかく、今の世の中において、「嫡出子」という概念自体、相当に時代錯誤の感がある。
ましてや、子は親を選ぶことすら出来ないのに、父母が結婚しているか否かだけでこのような差別を受けてしまうのは、理不尽極まりないことだ。
この点、憲法が保障する「法の下の平等」に明らかに反するはずだが、最高裁は、あろうことか「合憲」との判断を下している。とても納得できる判断ではない。
さてさて、話を本題に戻すと、冒頭の法務省の対応は妥当なのか。
法務省の論法は、性別を変更した「夫」と子との間には「遺伝的な父子関係がないことが戸籍上明らか」なので、「嫡出子」ではあり得ない、ということだ。
確かに、「嫡出子=実子」である以上、法律を杓子定規に解釈すれば、その通りなのかも知れない。
だが、私は、以下3つの観点から、法務省の対応は「誤り」だと指摘したい。
(1)法の下の平等の観点
実は、法務省は、過去に、「嫡出子=実子」という定義自体を放棄したかのような対応をしている。
今回同様、第三者の精子を使った人工授精のケースで、「遺伝的な父子関係がない」ことが明らかなのに、「夫」が生物学的な本来の男性である場合には、子を「嫡出子」とすることを容認したのだ。人工授精は、不妊治療などでもよく利用されており、既に1万件以上の実例があるとも言われている。つまり、既にこれだけの「血縁関係なき嫡出子」の存在が黙認されているのだ。
今回の対応は、明らかに、この前例と矛盾するものだ。
端的に言えば、性別の変更をした「夫」と本来的に男性である「夫」とをモロに差別しているのであって、憲法(法の下の平等)にも特例法4条にも違反する由々しき事態である。
また、最近話題の「代理母」についても、同様の指摘が可能だ。
古い最高裁判例によって、母子関係は「分娩の事実」によって確定するとされているので、代理母と子の間には「遺伝的な母子関係がない」ことがハッキリしているのに、出生した子は「代理母の実子」と認定されるのだ。
この結論については、大いに異論のあるところだが、要するに、「嫡出子=実子」という定義自体、ここでも完全に崩壊してしまっていることは明白だ。
そもそも、「遺伝的な父子関係がない」にも関わらず、嫡出子として戸籍に記載されるケースは、世の中にいくらでも存在する。
夫婦が意図的にそうするケースもあれば、不本意ながらそうなってしまうケースもある。
前者の例としては、子どもが出来ない夫婦が、他人間の子を養子ではなく、いきなり嫡出子として届け出るケースである。
後者の例としては、民法で規定されている「嫡出推定」によって自動的に嫡出子とされてしまうケースである。
民法によれば、結婚後200日経過後~離婚後300日以内に生まれた子は、「夫の子と推定」されるので、当事者が望むかどうかに関わらず、自動的に夫(前夫)の子とされてしまうのだ。
不本意ながら「嫡出子」として戸籍に記載されてしまった場合は、「夫」自らが「嫡出否認の訴え」という訴訟を起こして、「この子は私の嫡出子ではない」ということを裁判所で確認してもらうことになる。
また、最近では「出来ちゃった婚」が珍しくなくなったが、結婚後200日以内に生まれた子も夫婦が嫡出子として届け出れば、問題なく受理されているし、婚外子を父親が「認知」するときだって、「遺伝的な父子関係」があるか否かなどチェックされることなく、父親が認知届を出しさえすれば、問題なく受理されているのだ。
そう考えていくと、実務上も、「遺伝的な父子関係」よりも「この子を私達の嫡出子として届け出よう。」「この子を私の子として認知しよう。」という「当事者の意思」こそが最も尊重されているはずなのだ。
従って、今回のケースのように、夫婦そろって「この子を私達の嫡出子として届け出たい。」と言っているのに、何故、法務省がその意思を踏みにじる必要があるのか。全くもって解せない。
(2)三権分立の観点
言うまでもなく、法務省は「行政」の一部に過ぎない。行政は法を淡々と形式的に執行するのみで、「事実認定」や「法の解釈」をする権限はない。事実認定や法の解釈は「司法」の役目である。
日本は、官僚国家であるから、古くから行政が司法の真似事のようなことをして、強力な事前規制社会を築き上げてきたが、今回の件もその流れを踏襲するものである。
あくまでも、民法には「嫡出推定」という規定があるのだから、行政としては、推定規定どおりに「嫡出子」として受理すれば済む話である。
その子が実子かどうかということは、裁判所だけが為し得る事実認定の問題であって、実質的な審査権限のない行政の窓口で判断すべき事柄ではない。
おそらく、法務省としては、「戸籍上、明らかに生殖能力がないという証拠が示されている以上、推定規定は覆っている。」と反論するであろう。
特例法では、申請時において「生殖能力がない」ということも性別変更の要件とされているからだ。このこと自体もひどい差別だが。
しかし、世の中には、「両性具有」の人だって存在するし、特例法では申請前の生殖能力は問われていないのだから、「申請前には、変更後の性の生殖能力があった」という事例の存在を100%否定するのは絶対に不可能なはずだ。
結局、法務省は、司法が果たすべき実質的な審査をしてしまっているのであり、行政としては行き過ぎた対応なのである。本当に、何様のつもりなのだろう。
(3)司法(紛争解決)の観点
司法の使命は、「紛争解決」であり、大原則は、「当事者主義」である。
つまり、紛争が勃発して、訴える者と訴えられる者が登場して、初めて司法は発動するのだ。
当事者が誰も文句を言っていないのに、司法が率先して口を出すことは「余計なお節介」であり、司法には全く期待されていないことだ。
この件で、「嫡出子」と届け出ることによって、誰が文句を言って、どのような紛争が勃発すると言うのだろうか。
人工授精で精子を提供した者を「父」と定めることなんて、当事者の誰1人として望んではいない。
もちろん、「子」自身の意思は分からないが、この子が、将来、実父を「父」とすることを望んだ場合には、戸籍上の父を相手に「親子関係不存在確認の訴え」という訴訟を起こすことができる。
前述の「嫡出推定」の規定は、あくまでも「推定」に過ぎないので、推定を覆すことが出来れば、親子関係を否定することは出来るのだ。
その上で、実父に対して「認知の訴え」を起こすという手段は残されており、子自身の権利自体は保障されている。
一方、「非嫡出子」としてしか受理されない場合の不利益は非常に大きい。
まず、当たり前だが、「認知」を求める相手方は、望んでもいない実父である。
精子提供者である実父が自発的に「認知」する可能性は低いので、「認知の訴え」を起こすしかないが、勝訴しても、嫡出子との差別待遇は続く。
もちろん、実母の「夫」と「養子縁組」したら、結果的には妥当な結論を得られるのだが、「養子」とされることは当事者の本意ではないし、そのことで受ける当事者の心理的ダメージは大きい。何よりも、養子縁組する前に、その「夫」が死亡してしまった場合、親子関係を築くチャンスを完全に失うことになってしまう。
法律は、「紛争解決のための知恵(=道具)」のはずなのに、法務省のやってることは、紛争解決や紛争予防に資するどころか、ことさらに無用の紛争を巻き起こしているだけである。
以上、法律論としては異論もあろうが、私は、法務省の対応は「誤り」であると強く言いたい。
そして、将来の立法論としては、実子だろうが養子だろうが、こと細かに区別するのではなく、「子」は全て平等に扱うこととすべきである。
ちなみに、欧米では、婚外子の割合が40%以上という国が珍しくない。07年の統計では、アイスランド66%、スウェーデン55%、フランス50%、イギリス44%、アメリカ・オランダ40%、カナダ・ドイツ30%、スペイン28%、イタリア21%となっている。日本人の感覚からすると、ビックリ仰天の数字である。
一方、日本の婚外子は、07年でわずか2%だ。日本の国民性という見方もあろうが、嫡出子と非嫡出子の理不尽な差別がもたらした結果と言えるのかも知れない。
現在、ほとんどの先進国では、婚内子と婚外子の差別は撤廃されている。国連の人権委員会は、日本の民法の相続分差別は、国際人権(自由権)規約26条に抵触するとの異例の勧告を出しているほどで、今、世界から日本の良識が問われている。
しつこいようだが、「子は親を選べない」のだ。