45)虎の子が消えた!
- 2010年7月27日
- 法律・政治
先日、このような相談を受けた。
亡くなった主人の遺品を整理していたら、昭和65年(つまり平成2年)満期の定期預金の証書が出てきた。
かなりの金額だし、主人が遺してくれたものなので、有効に使わせてもらおうと、感謝の気持ちとともに、一人涙した。
そして、早速、払戻を受けようと思い、金融機関に赴いたところ、金融機関の担当者いわく、「もう記録がないので、お支払いできません。」とのこと。
一瞬、耳を疑ったが、何度聞き返しても、同じ答え。
どうしても納得がいかず、私も引き下がらずに訴え続けたが、「記録がない」の一点張りで、全く埒があかなかったので、その日は渋々帰宅した。
現実に手元に証書が実在するのに、「記録がない」というだけで払戻を受けられないとは、一体どういうことなのか!
どうだろうか。
多くの方が、この相談者に同情するであろうし、金融機関の対応には到底納得されないであろう。
だが、残念ながら、法律的には、相談者の「負け」となる可能性が高い。
金融機関の言い方も実に不親切であり、その点は大いに非難されるべきだが、預貯金は、あくまでも金融機関に対する「債権」であり、債権である以上、当然に「消滅時効」というものが存在するのだ。
つまり、一定期間、債権者(預けた人)が債務者(金融機関)に何らの請求もしなければ、消滅時効によって、債権者の権利自体が消滅してしまうわけだ。
せっかく汗水垂らして蓄えた、大切な大切な「虎の子」が、無惨にも消えて無くなってしまうのだから、もはや悲劇としか言いようがない。
ちなみに、預貯金に対する消滅時効が完成する期間は、銀行であれば「5年」、その他の信用金庫・信用組合・農協などであれば「10年」である。
そして、定期預金の場合は「満期日」から、普通預金の場合は「最後の取引」から消滅時効のカウントがスタートする。
とは言え、金融機関も客商売であるから、消滅時効が完成したとしても、記録さえ残存していれば払戻に応じてくれる例が多いようだ。
だが、上記の相談者のように、不幸にも、金融機関に記録が全く残存していなければ、消滅時効を理由に払戻には一切応じてもらえないということになってしまうだろう。
なお、定期預金の中には、「自動継続特約」が付いたものも多いはず。
このような場合には、「自動継続の取扱いがされることがなくなった満期日」から消滅時効が進行する、というのが近時の最高裁判例(平成19年4月24日)である。
従って、上記の相談者の例でも、自動継続特約さえ付いていれば救われた可能性があるのだが、それすら付いていなかったので、残念ながら救済手段が見当たらなかった。
上記の相談に対しては、一通り、このような回答をしたが、相談者としては、「自分のお金を単に預けていただけなのに、何故、時効で無くなるのか、やはり理解できない。」とのことであった。
おそらく、「預金」とか「貯金」とかいう言葉のイメージから、お金を金庫で預かってもらっているような感覚を抱いてしまうのかも知れない。
だが、ご承知のとおり、金融機関は、預かったお金を運用して、その利ざやで儲けているのであり、お金を金庫で預かっているわけではない。
金融機関にお金を預けるという契約は、法律用語では「消費寄託」というが、お金(紙幣・硬貨)そのものを預かっておいてもらうわけではなく、預けたお金は自由に使って(消費して)よいものの、返還請求した際には、同価値のお金を払い戻してもらうよ、という契約なのである。
要するに、金庫で「特定の物」を預かってもらうのとは本質的に異なるのだ。
金庫に物を預けている場合は、その物の「所有権」はいつまで経っても預けた本人に帰属する。所有権には消滅時効がないからだ。
だが、預貯金の場合は、あくまでも、「お金で返してもらう」権利に過ぎず、言ってみれば、「お金を貸した」のと何ら変わらない話なのである。
貸金に消滅時効があることは多くの方が御存知のとおりなのだが、これが預貯金になると消滅時効があること自体がピンとこなくなってしまうようだ。
預貯金というものは、そのお金を「虎の子」であると意識すればするほど、使わなくなる(つまり、放置してしまう)傾向になりやすい。
5年にしろ10年にしろ、最後の最後に使うべき「虎の子」だと思って、大切に保管(放置)し過ぎていると、アッと言う間に、消滅時効完成という「悲劇の日」が到来してしまうことになる。
その預貯金が本当に「虎の子」であればあるほど、大切にし過ぎたことによって消えて無くなるなどというのは、笑えない悲劇である。せめて1年に1回くらいは、ご自身の財産を全てチェックされるのがよかろう。