沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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64)弁護士の年収

 私の年収をドーンと公開、ということではない。

 まあ、公開するほどの年収でもないが、弁護士になって15年、事務所のパートナー(経営者)になって10年、大変ありがたいことに、経済的には恵まれ続けてきた仕事人生であったと思う。

 弁護士の年収実態は不明なので、弁護士の中での位置づけはよく分からないが、主観的には「満足」のいく収入を頂戴している。

 弁護士の年収については、いろいろなデータがあるが、いずれも実態を反映しているとは思えないし、データの開きも大きい。
 ネット情報では、平均年収は700~800万円と指摘するものから、1500~2000万円という指摘まで様々である。
 そもそも、「年収」の意味を「年商(売上高)」と捉えるのか、「所得」と捉えるのかでも話は大きく違ってくるが。

 いずれにせよ、自営業者の場合、税務申告のデータ自体が当てにならない。
 当事務所の場合、売上は全て銀行口座に入れるので(現金でも)、売上高は正確であるが、これすら誤魔化す弁護士もいるようだ。
 ましてや、税務上の事業所得は、申告者の「意見」に過ぎないので、実態を正確には反映していない。
 それに、事業所得以外にも、減価償却費や各種所得控除といった「非支出経費」も存在するので、自営業者の「手取金額」はいよいよ以て誰にも分からないというわけだ。

 ただ、昨今の司法修習生の就職事情(初任給など)を聞くと、弁護士の平均年収(所得)は、やはり1000万円には届いていないのかも知れない。

 私が弁護士になった頃、弁護士人口は1万5000人ほどであった。
 今や3万人ほどであり、アッという間に、政府が目標として掲げた「5万人」に到達する。もちろん、その後も、どんどん増え続ける。
 
 言うまでもなく、弁護士が活動するフィールドは、主として「法的紛争分野」(司法)である。
 このフィールドが、2倍・3倍に急拡大する見込みは全くないので、当然に、限られたパイをみんなで取り合うという激烈な競争社会へと移行する。
 私の例で言えば、弁護士になった当初と今とで弁護士人口は2倍になっているのだから、所得は半分に減ってもおかしくない。
 ところが、そのような現象は「今のところ」生じていない。
 これはどうしてだろう?と考えてみたとき、弁護士としての「あるべき年収」という価値観そのものが急激に変化しているのでは?との思いに至った。

 私も中堅世代となり、ここ5年間は司法修習生の実務指導を担当させて頂いている。みんな真面目で謙虚(控え目)である。

 そして、収入面にしても、弁護士だからガンガン稼いでやろうなんていう感覚は微塵もなく、最低限の収入さえ確保できればよいという感覚が強い。
 
 おそらく、嫌というほど、弁護士の将来性に関する悲観的な情報をインプットされ続けてきたのであろう。そもそもの「目指す年収」が昔と違うのだ。

 経済学では、ラチェット効果とデモンストレーション効果というものが知られている。
 ラチェット効果とは、「所得が減少しても消費を維持しようとする」人間心理を指し、デモンストレーション効果とは、「自分の所属してきた階層にふさわしい消費水準を維持しよう」という人間心理を指す。
 また、パーキンソンの第二法則というものも知られており、「支出の額は収入の額に達するまで膨張する」とされる。

 いずれも、我々の経験則と一致するところである。
 つまり、今の司法修習生や若手弁護士は、「弁護士にふさわしい年収」の設定自体が極めて「控え目」なので、当初の予想よりは、激烈なパイの取り合いが生じていないのではないかと思われるのだ。
 そして、彼らは、以前のブログでも指摘したとおり「嫌消費世代」に属しているので、生活も質素で倹約的であるから、バカみたいな贅沢をしない。現に軽自動車に乗っている若手弁護士も珍しくない。
 従って、適度な収入さえあれば、十分に「食える」ということなので、さほど悲観的になる必要もないということだ。

 むしろ、近時の「過払金バブル」で一時的に大儲けした弁護士や弁護士は高額所得者であるべしとして「生活レベルをむやみに上げ過ぎた」弁護士こそ、今後、わずかでも収入が減少したとき、一気に生活が「破綻」してしまうのでは?と思えてならない。現に、派手な横領事件を起こしているのは、ベテラン弁護士ばかりだし。
 
 とは言え、私も、家族を支えねばならないし、仕事人生も、まだまだ折り返し地点でもあるので、できれば現状の経済レベルは維持したいところだ。

 ますますの弁護士急増時代を迎える今、現状の経済レベルを維持しようと思えば、当然ながら、現状のままの努力では絶対にダメなのである。
 まさに「カモの水かき」の例えどおり、より一層の弛まぬ研鑽と創意工夫が必要とされよう。
 最近になって、年甲斐もなく勉強をし続けているのも、そのような意識の表れからなのだが。

 さて、一昔前であれば、弁護士は、医者とともに高額所得者の代名詞のように言われてきたが、前述のとおり、今の司法修習生や若手弁護士にそのような感覚は無い(おそらく)。

 私が弁護士になった頃と今とを比較すれば、弁護士の初任給は相当に「低額化」しており、司法修習生の給与よりも弁護士の初任給の方が低いということも珍しくない。
 そんな感じだから、弁護士になるか市役所職員になるか真剣に迷った挙句、より「安定」した生活を望んで市役所職員になったという者もいる。

 確かに、今の若手世代は「高望み」はしていない。
 だが、高望みはしなくても、生活そのものが成り立たなければ、どうしようもない。
 本当に、弁護士では「生活できない」のであれば、弁護士を職業として選択することはできないことになってしまう。

 巷では、「社会正義の実現や人権擁護を使命とする弁護士が、金のことなんか言うな!情けない!」などという意見も聞かれるが、自分自身の生活が成り立たなければ「正義を語る余裕」すら持てない、というのが紛れもない現実である。

 自営業者の大変さは、給与生活者にはピンとこないはずだ。
 だからこそ、給与生活者であるマスコミ連中の批判は、見事に「的外れ」であることも多い。
 私も、自ら経営者になるまでは、その大変さは実感できなかった。

 法律事務所の経営は、外から見るほどラクなものではない。
 弁護士業というのは、多くの他の士業と同様、特定の顧問料収入を除けば、全てが「スポット収入」である。
 顧問料収入だけで事務所経営が成り立つような「稀有」な例外的事務所を除けば、常に「新規案件」を受任し続けなれば、事務所経営すら成り立たないという宿命にあるのが「普通」の事務所像だ。
 従って、事件を「紹介」してくれる「人脈」を十分に築いていない場合、基本的には「飛び込み依頼」だけに依存せざるを得ず、いつまでたっても「安定」という言葉とは程遠い生活を強いられることになる。

 最近では、就職先が見つからず、やむなく「すぐに独立開業」(これを「即独」という)する新人弁護士も多い。
 新人弁護士が開業したところで、すぐに「飛び込み依頼」が来るほど世間は甘くないので、当然、しばらくの間は「食えない」状態となるわけだ。
 即独した新人弁護士の年収(売上)が100万円だったという報道が話題になったが、飛び込み依頼だけを待ち続けていれば、そうなってしまうことも十分あり得る話だ。

 では、どれだけの収入があれば、「食える」のだろうか。

 士業の場合、売上と比例して発生する「変動費」というものがほとんど無いので、基本的には、「固定費」さえ考慮すれば、大凡の「損益分岐点」は判明する。
 固定費としては、事務所経費・生活費・税金くらいのものである。

 極端な話、独身で、自宅兼事務所で、事務員も雇用せず、生活レベルも徹底的に質素にすれば、驚くほど少ない収入で生活できるはず。

 ただ、それなりの事務所を構えて、事務員も雇用して、ということになると、やはり、事務所経営における「損益分岐点」は、相当高額になってしまう。
 もちろん、これも、事務所規模や生活レベルによって大きく変わるであろうが、私の経験に基づく大雑把な目安としては、
  経営弁護士の数×2000万円
  勤務弁護士の数×1000万円
  事務員の数×500万円
を全て合算した金額が必要だと思う。

 もちろん、この数字だって、私の経験に基づく「昔の価値観」を多分に反映しているので、今から弁護士になる人たちは、この数字に惑わされる必要はない。念のため。

 さて、上の基準によれば、当事務所の場合、経営弁護士(パートナー)が4人、勤務弁護士(アソシエイト)が3人、事務員(専従者含む)が9人なので、事務所全体で、ざっと、1億5500万円の売上高が必要ということになろうか。

 おそらく、これくらいの売上高であれば、現状では、十分にある「はず」である。なぜ、断定できないかと言うと、実は「知らない」からである。

 当事務所の場合、法人化していないので、人件費以外の経費だけが「共同」で、勤務弁護士・事務員の雇用、そして、会計処理などは全て「別々」である。
 つまり、当事務所は、パートナー4人をボスとする4つの事務所の集合体に過ぎないので、他のパートナーの懐事情は全く「知らない」のだ。
 ただ、私自身の収入と他の弁護士の働きぶりを比較検討すれば、前述の数字は十分にクリアーしている「はず」だし、そうでないと事務所経営がとっくに行き詰まっている「はず」なので、現状では、当事務所の経営は良好ということになる。

 さて、今後、弁護士の年収はどうなっていくのであろうか。

 プロスポーツの世界で「1億円プレーヤー」という言葉があるように、ビジネスパーソンの世界では「1000万円プレーヤー」という言い方がされる。
 要するに、それだけ稼いでいるのは「珍しい」存在ということだ。
 最近のデータでは、サラリーパーソンで1000万円プレーヤーは、男性では6%、女性では0.7%しか存在しないそうだ。
 まさに「憧れの的」といったところだろう。

 一昔前であれば、弁護士であれば年収(所得)1000万円を超えるのは容易だったはずだが、これからは、弁護士でも1000万円プレーヤーは憧れの的になっていくことだろう。

 私の同期で、刑事事件を専門にしている弁護士がいる。
 本当に刑事事件しかやっていないようで、同期の集まりの際に「年間の売上が1000万円いかないんだよね。」などと言っていた。
 だが、言葉とは裏腹に、その顔は何とも満足気であった。
 おそらく、彼の年収(所得)は、せいぜい数百万円といったところだ。彼は独身なので、何とか生活も成り立っているのだが、大変であることに違いはない。
 でも、彼は今の「生き方」に信念を持ち、十分満足しているのだろう。
 彼の姿勢には、心からの拍手を送りたい。

 要するに、「どう生きるか」さえ決めてしまえば、「どれだけ稼げばいいか」も自ずと定まってくるということだ。

 弁護士という資格は、自己表現のツールに過ぎないので、このツールを活かすも殺すも自分次第である。

 ネットでよく見かける「弁護士になれば、いくら稼げますか?」という類のバカな質問は、資格にぶら下がって「ラクして生きよう」という姿勢の表れに他ならない。
 弁護士になって、どういう自己表現をしていきたいのか、という真摯な問い掛けに自問自答していく姿勢があれば、このような愚問は生じるはずがない。

 う~む。何だか、説教くさくなってきたので、今日はこのくらいで……。

 では、最後に、今年の私の「年収」目標。
 中小企業診断士として「10万円」を稼ぐこと!!(控え目?)。