沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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97)弁護士に必要な3つの「顔」

だいたい「最近の若いもんは…」などと言い始めたら、立派なオッサンになった証拠なのだが、私も、心身ともにオッサンの仲間入りをしてしまったようだ。
司法試験に合格すると、裁判官・検察官・弁護士の卵として、1年間、司法修習生という身分を与えられ、実務家になるトレーニングをミッチリ積むことになっている。
そして、最終の修了試験に合格すれば、晴れて実務家として活動できる資格を取得するという仕組みである。
本来であれば、司法修習生ともなれば、夢と希望と情熱に燃えて、生き生きと勉強に勤しむはず…なのだが、そんな姿は、ちょっとした「昔話の世界」のようだ。
私は、ここ6年ほど、毎年、司法修習生の指導担当をしているのだが、幸い、私が担当した歴代の司法修習生たちは、社会人としてもシッカリしていて、意欲にも満ちているので、何ら問題はない。
だが、いろんな人から伝え聞くところによると、「最近の若いもんは…」と言いたくなるエピソードばかりなのだ。
どんな人がこのブログを読んでいるか分からないので、エピソードの詳細は割愛すべきだろうが、まあ、ひどいもんである。
弁護士を目指す者としてということではなく、社会人としてダメというエピソードが実に多いのだ。
敢えて、一つだけ例を挙げるならば、弁護士会が主催し、忙しい弁護士が完全ボランティアで臨んでいる講習会に平気で「ドタキャン」するというようなことだ。
それも、1人や2人ではないというのだから、何だかゾッとしてしまう。
要するに、まだまだ、ロースクールの延長のような「学生気分」なのかも知れない。
そう、ドタキャンするのも、授業をサボる程度の軽~い感覚なんだろうな。
だが、弁護士サイドからすれば、本当に「ふざけるな!」と叫びたくなる話だ。
今の司法修習は、たった1年しかない。
実務家としての基礎を身に付ける絶好の機会なのに、学ぼうという積極的姿勢がない者が多すぎる。
この感覚は実に不思議だ。
私らの時代は、司法修習は2年だったが、それでも、学びたいことが山のようにあり、それなりに楽しみながらも、必死で勉強したもんだが…。
まあ、今の司法修習制度には多分に大問題があるので、当事者ばかりを責めるワケにもいかない面はある。
ご承知のとおり、今は、法律事務所への就職さえ思うようにはいかない。
加えて、修了試験も合格できない者がたくさん出てしまう。
修了試験に落ちたら、当然、法律事務所の内定は取り消されるはず。
ということになれば、司法修習の前半は就職活動に必死になり、後半は試験勉強に必死にならざるを得ないので、結果として、最も肝心の実務家としてのトレーニングが疎かになる、という実に笑えない話なのだ。
思うに、弁護士には3つの「顔」が必要である。
1つ目は、「学者」としての顔。
言うまでもなく、法律学という学問をトコトン究めなければ、法律家としては何も始まらない。
実は、司法試験で問われているのは、この学問的要素「だけ」なのである。
だから、実務家としてのトレーニングは、司法修習生になってから身に付けなければならないというワケだ。
2つ目は、「職人」としての顔。
実務家として、紛争解決(紛争予防)という目的を達成するに足る十分な実務能力を磨いていく必要がある。
もちろん、これは、経験を重ねていくことでしか身に付かない能力である。
3つ目は、「経営者」としての顔。
弁護士というのは、端的に言えば、在野法曹である。
最終的には、自分自身で仕事を取れるようにならないと、生活すら成り立たない。
今までは、弁護士の数が圧倒的に少数だったので、弁護士を名乗るだけで「食うには困らなかった」とも言えたが、これからの競争時代はそんなワケにはいかない。
経営センスの無い弁護士は、最悪、廃業も覚悟せねばなるまい。
ここが、裁判官や検察官のように、国家に身分保障された立場とは根本的に異なる点である。
司法試験を通過しただけの司法修習生は、学者としてのスタートを切っただけというに過ぎない。
職人や経営者としては、まだスタートすら切っていない立場だ。
これから、職人や経営者としても1人前になっていく必要があるというのに、学ぶべきことは山ほどあるというのに、すぐ近くに先輩の実務家がいるというのに、なんで、そんなに「やる気がないの?」と言いたくなるよなあ。
最近は、司法修習生を指導するのはイヤだという弁護士が増えてきている。
全国の指導担当者が集まる会議で、全国各地から聞かれる声だ。
その原因は、言うまでもなく、司法修習生の「やる気のなさ」である。
私は、司法修習生の仕事は「質問攻め」だと思っている。
旺盛な好奇心を以て、どんどん先輩実務家に質問すれば、みんな、喜んで教えてくれるはずだ。
聞くところによれば、電車の中で「弁護士が何も喋ってくれず、シーンとした気まずい雰囲気がイヤだ」などと言う輩がいるらしい。
これも、ふざけるな!という話だ。
修習生がドンドン質問すればよいではないか!
なんで、弁護士が修習生に気を遣って、しょうもない話題を提供せにゃいかんのだ。
やはり、突き詰めると「学生気分」なんだろうな。
これは、ひょっとすると、給料が廃止されて、いよいよ加速する現象かも。
何だかんだ言っても、給料を貰わないと社会人としての自覚が芽生えないか。
とすれば、今の司法修習制度は、ドンドン「改悪」に向かって突っ走ってるということか…。