119)仕事と勉強
- 2013年4月5日
- 弁護士・資格
最近、ちょいと「ストレス」が溜まってきた。
仕事が「渋滞」し始めたからだ。
こりゃあ、この土日は、ガッツリ仕事だなあ。
連日、何らかの「締め切り」がやって来る感じ。
もともと、締め切りは「追いかけたい」タイプなので、締め切りに追われる
こと自体がストレスというワケだ。
でも、今の時代、仕事は「在るだけ」ホントに有り難いこと。
こんなことでストレスを感じているなんて、そもそも贅沢な話だ。
いかん、いかん。
感謝・感謝・感謝だよなあ。
私の勝手な見解だが、仕事というのは、次のような「かけ算」によって生ま
れるものだと思っている。
仕事 = 勉強 × 人脈
別の角度から見れば、次のようにも言えよう。
マネー = スキル × チャンス
どれほど、勉強してスキルを磨いても、それを活かすチャンスが無ければ、
仕事にはならない。
逆に、チャンスは山ほどあるのに、自分のスキルが十分に追いついていなけ
れば、仕事にはならない。
仕事というのは、そのスキルを欲している「人」(依頼者)がいて、自分に
そのスキルがあることを知ってくれている「人」(紹介者)がいてこそ、初め
て自分のもとに舞い込んで来るものだ。
どれだけ、IT社会が進化しようとも、今も昔も、仕事は「人」が運んでき
てくれるものだ。
だからこそ、「勉強×人脈」ということなのだ。
今、私のもとには「司法修習生」という法曹(裁判官・検察官・弁護士)の
卵が弁護士実務の勉強をしに来ている。
ちゃんと司法試験に受かった人達だから、十分に勉強はしてきているので、
それなりのスキルは保持している。
だが、我々の時代と決定的に違うのは、そのスキルを「活用する場」を得る
こと自体が難しくなったということだ。
御承知のとおり、司法試験の合格者が急増し、弁護士業界は、今までに経験
したことのなかった「大競争時代」に突入し、司法修習生から見れば、未曾有
の「就職氷河期」が到来している。
既存の法律事務所に「勤務弁護士」(イソ弁=居候弁護士)として就職でき
るのは一部の人達だけとなり、運よく大企業(法務部)や公的機関に就職でき
た人達を除けば、残された選択肢は、いきなり「独立開業」(ソク独=即時独
立)だけという大変な時代だ。
まあ、他の士業は、みんなそうなんだから、ということは言えるが、それで
も、想像以上に厳しい現実が待っていることは確かだ。
当然、しばらくの間は仕事は来ない。
だが、私は、この「仕事に追われない時期」こそが貴重だと思っている。
既存の法律事務所に「イソ弁」として就職した者は、いきなり「仕事に追わ
れる」ようになる。
すると、どうなるか。
仕事を生み出すための「勉強」の時間と「人脈作り」の時間を作る余裕が無
くなってしまうのだ。
ところが、「ソク独」した連中はどうだろう。
仕事が無いんだから、毎日、たっぷりと「勉強」と「人脈作り」に時間を割
くことが可能だ。
これは、実は、大いなる「アドバンテージ」なんだと思う。
3年後、「イソ弁」は、ボスから「そろそろ独立したら?」なんて言われて
しまう。
本人も「十分に実務経験も積んだし、そろそろ大丈夫か?」なんて思って、
ちょっと楽観的に独立してみる。
だが、3年間、ボスの仕事だけに追われて、勉強もしていないし、人脈作り
もしていないし……。
あれっ?こんなはずでは……。
なんていう話になりがちなのだ。
もちろん、さらに数年も経てば、「ソク独」だろうが「イソ弁」スタートだ
ろうが、ほとんど差はなくなるのかも知れない。
要は、どの時期に苦労をするかの差だけなのかも知れない。
ただ、私は、勉強と人脈作りは、一生涯続けるべきものだと言いたい。
これを怠り始めた時点で、その人の仕事人生は下降し始めるはずだ。
仕事をどんどんこなしていくと、要領も良くなってくる。
今までは3時間かかっていた仕事が、1時間で出来るようになる。
すると、もっともっと仕事が舞い込むようになり、さらに仕事に追われるよ
うになる。
よく言われるように「仕事は忙しい人に回せ」が鉄則だからだ。
そうして、仕事人生10年を迎える頃には、スッカリ勉強すること自体を忘
れるようになってしまう。
勉強しなくても、今までの経験から得た「要領」だけで仕事が十分にこなせ
てしまうからだ。
ここで、人は「私ってスゴイ!」と思い上がる。
でも、ホントは、自分に「こなせる仕事しか回ってきていない」だけのこと
なんだけどね。
そこに気づける人と気づけない人で、その後の「伸び」に差が出る。
ここで、もう一度、私の勝手な「仕事の公式」を確認。
仕事 = 勉強 × 人脈
もしも、勉強を完全に怠ったらどうなるか。
そう、「勉強=0」になるので、当然に「仕事=0」という悲惨な解答がは
じき出されてしまうのだ。
勉強を怠る人は、ついには、時代に取り残される。
時代に取り残されたような人には、誰も仕事を頼みたくないし、紹介する気
にもならない。
40代。
働き盛りの世代が陥りがちなのが、この「仕事一色」の日々だ。
確かに、毎日毎日、メチャメチャ忙しい。
ゆっくり体も休めたい。
たまには家族サービスもしたい。
思いっきり趣味にも興じたい。
それでも、早朝に1時間だけでも勉強することはできるのだ。
私が、中小企業診断士を始めとして、様々な資格の勉強を始めたのが、ちょ
うど40歳の時。
毎朝、4時過ぎに起きる生活を1年ちょっと継続できた。
自分にとっては、とても刺激的な経験だった。
勉強を継続すれば、いつかそのスキルを活かすチャンスが到来するかも知れ
ない。
でも、何もしていなければ、そのチャンスを掴まえることすらできない。
つまり、当人には、チャンスを「チャンスとして認識」することすらできな
いということだ。
勉強というのは、何も自身の専門分野に限らない。
幅広い教養を身に付けることも重要だ。
勉強は、自分を「進化」させてくれる大切なもの。
私は「進化」には2通りあると思っている。
1つは「深化」で、もう1つは「新化」だ。
自らの専門分野を「深く」掘り下げ、常に「新しい」ことを取り込んでいく
のが、勉強というものだ。
私も、弁護士として深く掘り下げるべきことは山ほどあるし、中小企業診断
士としては新しく広げていくことばかりだ。
だが、社会経験を積んでからの勉強は、ホントに楽しい。
仕事をスタートしたばかりの新人も、仕事に明け暮れているベテランも、一
生涯、勉強は続くという自覚が大切なんだろうな。
時々、イギリス・ルネサンス期の法律家・思想家であったトマス・モアの名
言を思い起こす。
ホントに「そのとおり!」だと思う。
明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ。