66)軍人の娘
- 2011年5月25日
- 人生・趣味
先日、私の父が亡くなった。
あと1週間で84歳になるところであった。
その夜、近くに住む兄から電話があり、私は、急いで仕事を切り上げ、家族全員を引き連れて大阪へ駆けつけた。
夜9時半頃であったと思うが、父は、孫達の顔を見るや、最高の笑顔でニコ~ッと微笑み、自ら、布団から手を出して全員と握手を交わした。
とても病人とは思えない、もの凄い「力強さ」であった。
さも、「俺は生きてるぞー!」と言わんばかりに。
その元気そうな姿に一同ホッとして病院を後にした。
しばらくは大丈夫そうだったので、翌朝、帰宅する予定にした。
ところが、深夜、容態が急変。
アッという間に、天に召されてしまった。
ここ数年は、入退院とリハビリの繰り返しで、なかなかゆっくりと会話することもなかったが、子・孫に囲まれて、幸せな最期だったように思う。
今後は、我々の守り神として、天から見守ってくれることだろう。
父は、世の中の人を「陽」と「陰」に二分するならば、誰もが「陽」と声を揃えるような明るく、そして、優しい人であった。
また、とても勉強好きな人で、亡くなる直前にも、孫(私の娘)と「漢字の勝負をするから問題集を買って来て。」と同居する姉に頼んでいたそうだ。
私の娘も、「おじいちゃんは、勉強の神様になった気がするから、中間テストの前にお祈りしたんだ。そうしたら、間違いに気付いたんだよ。おじいちゃんが教えてくれたんだね。」などとジーンとさせることを言ってくれた。
私は、小学校3年生から寮生活であったので、両親とじっくり生活した経験が少ない。
ただ、私が司法浪人をしている時、母が長期入院したことがあり、その際は、父と2人っきりの生活となった。
父と正面から向き合ったのは、この時が初めてだったかも知れない。
受験生と家政婦(夫)という2足のわらじを履くことになった私は、まだ人間的にも未熟だったため、何一つ家事のできない父にキレそうになりながら家事をこなし、ついには熱を出して寝込んでしまうという失態を演じたが、今となっては、懐かしくも、ちょっぴりほろ苦い思い出だ。
父は、その「陽」の性格ゆえ、その秀才ぶりを家族が実感することは少なかったのだが、学生時代は、それはそれは優秀だったらしい。
父は仙台出身で、難関と言われた旧制二高に合格し、宮城県知事から表彰を受けるほどの優秀な成績を残したそうだ。
当然、東大合格は確実視されていたが、受験直前に大病を患い、受験を断念。
後年、治療を続けながら、地元の東北大学に進学した。
大学卒業後、まだ治療を続けていた頃に、母との結婚話が舞い込む。
仲立ちをしたのは、伯父(父の兄)である。
伯父は、海軍経理学校を首席で卒業したほどの優秀な軍人であった。
ちなみに、その奥さん(伯母)は、
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
という有名な電報を打った「大田実」(海軍中将)の娘である。
大田中将については、下記ご参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%AE%9F
そして、母も、バリバリの軍人の娘であった。
同じ軍人家系ということで、伯父と母はすぐに意気投合。
トントン拍子で、伯父が「弟(父)の嫁になって欲しい」と頼んだとか。
ちなみに、伯父は、戦艦大和に乗るはずだった。
ところが、やむを得ない事情により乗れなくなり、伯父は、泣いて悔しがったそうだが、戦艦大和は二度と帰港することはなく、伯父は命をつなぐことができたのだ。
もしも伯父が戦艦大和に乗っていたら、父と母も結婚することはなかったろうから、必然的に、私もこの世にはいなかったわけだ。
人生は、本当に奇跡の賜物である。
ところで、父の死を目の当たりにして、家族中が悲しみの涙を流す中、たった一人、最初から最後まで一滴の涙も流さなかった人がいた。
母である。
別にボケているわけではない。
母は、本当に「強い」人なのだ。
父とは対照的に「陰」の人ではあるが、心の強さはハンパではない。
今回、改めて、その思いを強くした。
家族・親族の間では、「さすが、軍人の娘だ。」と感心しきりであった。
山崎豊子氏の小説「不毛地帯」にも、「あなたは、軍人の娘なんだから、泣くんじゃないの!」という台詞が出てくるが、母も、おそらくは、そういう教育をずっと受けてきたのだろう。
ちょっと話はそれるが、一昨年(2009年)、フジテレビの開局50周年企画で、唐沢寿明が主人公「壱岐正」(陸軍中佐)を演じる連続ドラマ「不毛地帯」が放映された。
主人公の壱岐中佐は、元伊藤忠商事会長の瀬島隆三氏がモデルである。
瀬島氏は、11年間に渡る旧ソ連の違法な「シベリア抑留」での強制労働を経験した後に日本に帰還し、全く畑違いの商社で見事に才能を開花させた財界の大物である。
そして、ドラマの中では橋爪功が演じる「谷川正治」(陸軍大佐)という人物が登場する。
谷川大佐は、終戦直前、壱岐中佐が自殺を図ろうとした際、「二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、生きて歴史の証人となれ。それが敗けた者の使命だ。」と諭し、自殺を踏みとどまらせた上官である。
ドラマの中では、重要なポイントごとに何度も登場し、壱岐中佐の「心の拠り所」として描かれている。
実は、この谷川大佐のモデルこそ、母の父なのである。
母の父は、長谷川宇一という名で、関東軍報道部長兼参謀を務めた陸軍大佐であった。
長谷川宇一については、下記ご参照。
http://www24049u.sakura.ne.jp/db/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%AE%87%E4%B8%80
祖父は、終戦後、瀬島氏同様、旧ソ連による違法な「シベリア抑留」において8年間に及ぶ苦役を強いられた後、日本に帰還した。
その後は、「朔北会」(さくほくかい)というシベリアからの帰還促進と帰還者支援・遺族支援をする組織を作って、長期シベリア抑留者・遺族のために生涯を捧げた。なお、「不毛地帯」では、「朔北会」は「朔風会」となっている。
結局、昭和48年に亡くなるまで、あらゆる就職の話を全て断り続け、無報酬で「朔北会会長」という唯一の職(使命)を貫き通した信念の人であった。
祖父の葬儀には、「不毛地帯」原作者の山崎豊子氏も出席され、弔辞を読み上げて下さったそうだ。
私は、昭和43年に生まれて以降、昭和49年まで、ずっとブラジル在住であったため、とうとう、祖父に会うことは一度もなかった。
今回、いろいろな思いが募り、フジテレビドラマ版の「不毛地帯」のDVDボックスを購入して、じっくりと視聴してみたが、祖父の信念に貫かれた生き様を再認識できたような気がする。
信念の祖父に育てられた強い母。
思えば、母が泣いている姿というのは、私の43年間の記憶の中には、ほとんど無い。
本当は、泣きわめきたかったことも沢山あったろうに。
結果的には、強い母が残って、順番としては良かったと思う。
父は、優秀で明るい人だったが、母ほどは強くない。
母が先に亡くなってしまったら、アッと言う間に後を追いかけていったに違いないから。
実は、父と母は、今年3月に結婚60周年(ダイヤモンド婚式)を迎えた。
そんな「いい思い出」だけを胸に抱きつつ、眠るがごとく天に召されたのだから、幸せな最期であった。
娘と「漢字の勝負」が出来なかったのは残念だったが、娘の言うように、今度は「勉強の神様」として、子どもたちの勉強をシッカリと後押ししてもらうとしよう。
ついでに、私も、まだまだ勉強することがあるから、ヨロシクね。