沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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234)学校歴社会

早いもので、あの大雪のセンター試験から、もう1ヶ月。
娘の大学受験も、いよいよ大詰めとなってきた。

私立受験も全て終わり、残るは、第1志望の国立のみ。
何とか、本人の言う「滑り止め」には合格し、浪人だけは免れた。

だが、来週には、第2志望の私立の合格発表を控え、
週末には、いよいよ本命の国立受験が待ち受ける。

そして、3月に入れば、卒業式・国立の合格発表と続き、
そこから大慌てでアパートを探し、バタバタと引越準備となる。

いやはや、それにしても、
この2月・3月は、モヤモヤとバタバタで落ち着かない日々だ。

まあ、本人にとっては、人生を左右しかねない「学校選び」。
親としても、ただただ応援するのみなんだけどね。

ところで、
「日本は、学歴社会だ。」と言われるが、これは間違いであろう。
「日本は、学校歴社会だ。」と言うのが、正しいはず。

本来、学歴というのは、「学業歴」のこと。
つまり、どのような学術的分野を専攻し、
どのレベル(学士・修士・博士)まで終了したかというのが学歴だ。

だが、日本では、学業の「習熟度・到達度」なんかよりも、
偏差値の高い学校への「入学」自体が過大に評価されている。

例えば、「東大中退」と「早大卒」、あるいは、
「東大法学部卒」と「早大法科大学院卒」では、どうだろうか?

本来の「学歴」勝負ならば、早大の勝ちだ。
だが、日本では、やはり、東大の方が「エライ」とされるはず。

まあ、この善し悪しについては議論があろうが、これが現実だ。

では、何故、日本が「学校歴社会」なのかと言えば、
みんなが、新卒で「一斉に会社に入る」という特異な社会だからだ。

会社からすれば、新卒の学生に、専門性などは最初から期待していない。
むしろ、一から教育して、会社の色に染めつつ、様々なポストへ配置したいのだ。
そして、あわよくば、会社の経営を支えるほどの人材になってもらいたいだろう。

要は、スペシャリストよりも、適応能力の高いジェネラリストが欲しいのであり、
採用される側も、「就職」ではなく、「就社」という意識が高いはずだ。

人材の専門性が全く問われない前提での採用となれば、
人材の「能力の高さ」の指標となり得るのは、「学校歴」しかない。
偏差値の高い学校に入学できたというポテンシャルの高さに期待するワケだ。

結局、「就社」という文化が「学校歴社会」を生んでいるんだよね。

欧米のように、転職が普通の社会ならば、人材の専門性こそが重要視され、
その指標となるのは、「学歴(資格)」と「職歴」ということになろう。

従って、「学校歴」を気にしたくないなら、本当の「就職」をするしかない。
つまり、「専門職」(研究職・技術職・士業・師業)に就くという選択だ。

私も、実のところ、大学受験に関しては、苦い思い出しかない。
高校時代は、外交官になりたくて、東大合格を目指した。
だが、力及ばず、ついに東大進学は断念した。

当時、東大出身以外で外交官になるのは「ほぼ不可能」と言われていたので、
私は、もう1年浪人する気力もなく、早大へ進学することとしたのだ。

大学1年生の時は、挫折感を抱えながら、バイトとサークル活動に没頭した。
2年生となり、司法試験という新たな目標を見つけ、生活は一変した。

今では、早大の校風も大好きで、自身の母校に大いに誇りを持っているが、
東大コンプレックスを払拭できたのは、結局は、「就職」できたからだ。
弁護士・中小企業診断士という専門職で生きていく上では、
どこの大学出身かという問い自体がナンセンスだからね。

それに、早大に進学しなければ、弁護士にもなっていないし、
妻とも出会っていないし、かわいい娘たちも誕生していないし、
結果、全て、良いことにつながっているんだよね。

まあ、この先、娘が、どういう人生を歩んでいくかは、皆目分からない。
だが、今、18歳という社会の仕組みも何も分からない年齢で、
人生を左右するかも知れない「学校歴」という焼印を押されてしまう過酷さ。

とっても酷な話だとは思うけど、これが、紛れもない日本の現実。
だけど、娘には、是非とも、次の言葉を肝に銘じてほしいね。

「人生の選択に正解などない。選択を正解たらしめる作業こそが人生だ。」