53)人生の「偶然」を楽しむ
- 2010年11月22日
- 人生・趣味
今日、11月22日は、「いい夫婦の日」である。
離婚事件を多数扱っていると、本当に「お気の毒」な夫婦が多いことに驚かされるが、その度に、我が家は「いい夫婦」だと感謝せずにはいられない。
まあ、いい夫婦という定義自体がよく分からないが、とにかく、主観的に「幸せだなあ~」と思えていれば、いい夫婦ということなのであろう。
そして、そういう定義が妥当であるならば、我が家は十分に「いい夫婦」の仲間入りを果たしているはずだ。
私が思うに、自分や相手の言動に対して、ビジネスライクな「計算」が入ってくるようになれば、やや「黄信号」であろう。
つまり、「自分はこれだけやっているんだから、相手もこれだけやるべきだ。」とか、「相手がああいう態度なら、自分はもう相手の為には何もやらない。」という具合に、ビジネスにおける取引関係のごとく、常にキッチリと「フィフティー・フィフティー」であることを「計算」しながら生活するという姿勢になったら、もはや「いい夫婦」からは脱落してしまうのではなかろうか。
要するに、相手に見返りを求めない「無償の精神」を持ち続けることが出来るかどうか、がポイントかと。
さて、最近、私が強く関心を抱いていることに、人生における「偶然」というものの存在がある。
人生は、言ってみれば「偶然だらけ」であり、偶然の連続こそが人生とも言える。
思えば、私が、妻と出会って結婚に至ったのも、たくさんの「偶然」が重なり合った結果であり、たった一つの「偶然」でも欠けたら、今の生活は無かったろう。
今になって振り返れば、当時、「最悪」だと思えた事象も、今に繋がっている偶然の一つなのであり、結果的には、「最良」の事象だったという訳だ。
本当に面白いことであるし、感謝すべきことでもある。
男女の出会いだけでなく、自分自身のキャリア(仕事)でも世界を驚かすようなノーベル賞クラスの大発見でも、全ては「偶然」の賜物である。
人生そのものが偶然の連続であり、そのような偶然は、万人に平等に訪れるのだが、世の中で成功したと言われる人は、この「偶然」をうまく活かし切り、偶然を最大の「チャンス」へと変えることが出来た人達とも言える。
最近、注目されているキャリア理論の一つに「計画された偶発性理論」というものがある。
以下、「ウィキペディア」からの引用である。
計画された偶発性理論(英語:Planned Happenstance Theory)とは、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提案したキャリア論に関する考え方。
個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される。その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこうという考え方。
その計画された偶発性は以下の行動特性を持っている人に起こりやすいと考えられる。
1 好奇心(Curiosity)
2 持続性(Persistence)
3 柔軟性(Flexibility)
4 楽観性(Optimism)
5 冒険心(Risk Taking)
(以上、引用終わり。)
クランボルツの行った米国の一般社会人対象の調査によれば、18歳のときに考えていた職業に就いている人は、全体の約2%にすぎなかったらしい。
確かにそうだろう。私だって、18歳の時点では「外交官」というのが希望職種だったので、随分と違う方向を歩んできたものである。私は、幸いにして、大学で学んだことを仕事に活かせているが、世の中では、出身学部と仕事とが無関係という人が大半のはずだ。
クランボルツの言うところの、偶然を「計画」するという表現が若干分かりにくいが、要は、偶然の「中味」そのものは予測しようがないものの、より多くの「偶然」が起こりそうな「環境」に積極的に身を投じ、偶然をタイムリーにキャッチできるだけの「準備」をしておくことこそが、クランボルツの言う「計画」ということなのだろう(私見)。
いろんな書物でよく紹介されるが、
チャンスは、ピンチの顔をしてやって来る。
チャンスには、前髪しか付いていない。
などという言葉がある。
多くの人は、チャンスをチャンスと認識することが出来なかったり、チャンスだと気付いた時には「時すでに遅し」(後ろ髪は付いていないのでキャッチできない)ということが多い、ということである。
つまり、偶然をタイムリーにチャンスに変えることが出来る人というのは、一言で表現すれば、「準備が出来ている人」ということであろう。
最近の流行りの言葉で言えば、「セレンディピティ」を備えている人ということになろうか。
以下、「ウィキペディア」からの引用である。
セレンディピティ(英語:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。
(以上、引用終わり。)
そう言えば、先日(11月20日)、フジテレビ系列で放映された「たけしの新・教育白書~『学び』って楽しいぞSP」でも、この「セレンディピティ」のことについて取り上げていた。
一昔前までは、人生における「キャリア・デザイン」は、終身雇用を前提としてキッチリと固まっており、キャリア人生のスタートを切ってしまえば、ある程度、ゴールは見えていたものである。
だが、今の時代は全くちがう。
長い間、閉鎖的で不変だった法曹界でさえ、劇的に変化しようとしている。
当事者である我々でさえ、5年先・10年先の様相が全くイメージできない。
もっと言えば、日本や世界だって、今後どういう方向に向かっていくのか、誰にも予測できない。
そう考えると、自分の人生のビジョンなど描こうにも描けるはずがない、ということになろう。
でも、だからこそ「人生は面白い!」とも言える。
今後、自分の人生にどんな「偶然」が訪れるのか、ワクワクしながら、絶えず、自己研鑽(準備)だけは怠らない、という姿勢こそが肝要である。
私自身も、「法律バカ」にだけはなりたくないと思ってきたし、今後も、ありとあらゆる分野にアンテナを張って、残りのキャリア人生を楽しみながら「攻めて」いきたいと思っている。
最後に、私の座右の銘をご紹介したい。
< Luck is What Happens When Preparation Meets Opportunity >
直訳すれば、「幸運は、準備と機会が出会った時に生まれる。」となる。
人生全般に通用する「真理」ではなかろうか。