74)裸の王様
- 2011年8月24日
- 社会・雑学
芸能界のトップを突っ走ってきた島田紳助が、自身の「黒い交際」を指摘されて、昨日、芸能界を突然引退した。
どれほど「ドス黒い噂」を指摘されても、権力の座にしがみ続ける日本の政治家に比べ、あまりにも「潔すぎる」幕引きと言える。
その潔さのためか、もっと根深い「闇」があるのではないか、との憶測もある。
まあ、事の真相は分からないが、島田紳助個人としては、芸能界でトップを走り続け、実業家としても成功して、セカンドライフへの展望も十分にできているはずだろうから、全く芸能界には未練はなさそうだ。
ある意味、55歳での現役引退というのは、羨ましい限りでもある。
セカンドライフを謳歌するには、何と言っても、体が元気でなければならない。
そのためには、60歳までにファーストライフを終えてしまうのが理想的だ。
私も、かなうことならば、55歳でセカンドライフに突入したい、というのが昔からの「夢」だが、今の経済状況下では簡単には実現しそうもなく、文字通り「夢」のままかも知れないが……。
さて、今回の島田紳助の会見で気になったのが、以前、その暴力団関係者に「悩みごとを解決してもらった」という点だ。
暴力団関係者による「解決」というのは、基本的には「力による解決」を意味する。わざわざ「力」で解決を図るというからには、何らかの「理由」が存在するはずだ。
吉本側は、違法行為はなかったと言うが、暴力団関係者に何らかの「解決」を依頼するということは、そこに対価が発生しなくても、違法行為に加担した可能性は否定できない。
基本的に、我々が関与する「法による解決」というのは、ある種の人間たちには無力である。
それは、「守るべきモノが何もない」という人達だ。
ここでいう「モノ」には、財産・地位・名誉・プライドなど、あらゆるモノが含まれる。
社会生活上のトラブルを「法」によって解決しようと思えば、お金でケリをつけるか(民事)、相手に制裁を与えるか(刑事)、ということしかない。
だが、如何に、裁判所がお金の支払いを命じても、相手方が自発的に支払ってくれなければ、強制執行という最終手段に出るしかない。
ところが、強制執行というのは、相手方の財産を差し押さえて、強制的にお金に換える手続だから、そもそも相手方に何一つ「財産」が無ければ、相手方からお金を回収する方法はない。
当然、このような者に対する「裁判沙汰」は徒労に終わってしまう。
もちろん、民事判決を無視しても、「判決不履行罪」などという犯罪はないから、警察に駆け込んだところで、「うちは民事の話には一切首は突っ込めないよ。」などと冷たく一蹴されてしまうだけだ。
また、世の中には、刑務所に行くことすらヘッチャラな輩もおり、このような者に対する「警察沙汰」もまた、極めて虚しい結果に終わることになる。
長年、弁護士をやっていると、世の中には、相当程度このような連中がいることを強く実感する。
相談者にそのような説明をすると、「何のための法律なんですか!この世には正義は存在しないんですか!」といった反応が返ってくるが、正直、我々自身も、本当に歯がゆいところだ。
そんな訳で、相談者の中には、「じゃあ、ウラ社会の人間を知っている友人がいるので、相談してみます。」などとビックリすることを言い出す人もいる。
ふつう、ウラ社会の人間から脅されれば、借金してでも「最優先」で支払ってしまうというのが人情というものだろう。
後々の「お礼参り」も怖いので、警察に告訴する人も少ないし、それこそ、ヤクザ稼業というのは、違法行為をすること自体が商売のようなものだから、刑務所に行くことは、むしろ「勲章」なのかも知れない。
ということで、そんな連中を刑務所に送ったところで、何のトクがあんのか?となってしまう。
結果、「法による解決」が不可能な連中に対し、一部のウラ社会では、「力による解決」が厳然として横行しているということなのだろう。
だが、今回の件は、このような話ともチョット異質のような気がする。
島田紳助は、当初から「法による解決」を目指してすらいないのではないか、という疑問が生じてしまうのだ。
解決を依頼したトラブルというのは、テレビ番組での自身の発言をめぐる右翼とのトラブルであったらしい。
島田紳助の主張に「理」があるのならば、正々堂々と「法による解決」を目指すべきであったはずだ。
にも関わらず、暴力団関係者による「力による解決」を実現させたということは、そもそも島田紳助の主張が「理不尽」なものであった可能性すらある。
社会的地位もある芸能界の超売れっ子が、何故、顧問弁護士などに相談もせず、いきなり、ウラ社会での解決に託したのか。
大いに疑問の残るところだ。
いずれにせよ、ビッグになり過ぎた島田紳助に、真摯にアドバイスができる人間がいなくなってしまっていたということか。
それにしても、レギュラー番組を6本も持っていた大物司会者の引退ともあって、テレビ業界は大騒ぎだ。
ただ、最近の島田紳助の番組は「つまんない。」というのが、我が家全員の一致した感想であり、どの番組も本当に見なくなっていた。
大物タレントが司会をする番組は、どれも似たような傾向だが、大物司会者の発言や態度にスタッフ・出演者「全員」が気持ち悪いくらい迎合し、ちょっとでも気に入られようとして「ひな壇芸人」などが必死で大物司会者をヨイショし続けるという分かり易い「上下関係」が、見ていて痛々しいくらいだ。
当然、内容はドンドン薄っぺらいものとなり、島田紳助の番組などは、芸能人同士の「学芸会」や「身内の宴会」というノリだった。
番組の企画や出演者も、全て島田紳助に決定権限があったものと思われる。
大物タレントにどっぷりと依存し、コンテンツで勝負できる企画作りを怠ってきたテレビ局の責任も甚大であり、ここは猛省をしてもらいたいところだ。
やはり、監督・主演・プロデューサーが全て同一人物ではダメである。
何もかも手に入れたかに見えた島田紳助は、周囲の誰一人として真っ当な忠告ができない「裸の王様」になってしまったがゆえに、我が身を守るべき「転ばぬ先の杖」だけは手に入れ損ねた、という皮肉な話だ。