沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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225)すべては人間学

早いもので、我が子たちも、高3と中2の終わりかけ。
上の子は、目下、大学受験のラストスパート期。
下の子は、目下、部活やら何やらで青春真っ盛り。

でも、そこはやはり、多感でビミョーな思春期。
なかなか、人間関係も悩ましいようだねえ。

まあ、大人になって、人生経験を積んでくると、
全ての人から万遍なく好かれるなんてあり得ないと悟る。
自分を熱烈に好いてくれる人がいれば、
それと同じ数の「アンチ」がいると考えるべしということも。

個人的な感覚からすれば、
自分と関わる2割の人が、自分と価値観や波長が合い、
同じく2割の人が、自分と価値観や波長が全く合わず、
そして、その他6割の人は、自分には全く無関心、
という感じなのかなあ。

結局、人生においては、まず最優先にすべきは、
自分と価値観や波長の合う2割の人を大切にすることだよね。

とは言え、狭い学校という社会だけで生きていると、
なかなか、そこまで達観できないだろうけど。

まあ、こういう人間関係の悩みを経て、
人として大きく成長していくんだから、親としては、
家庭の雰囲気を温かくしながら、ただ見守るしかあるまい。

最近ブームの心理学者アドラーによれば、
「人間の悩みは、全て人間関係の悩みである」とのこと。

人間の悩みが、全ては社会生活に端を発する以上、
アドラーの分析は、的を射ている気がするねえ。

同じくブームになった経営学者ドラッカーも、
「マネジメントは、人間学である」と言い切った。

ビジネスという経済活動も、
人が価値を創造し、その価値を人に提供する、
というものである以上、まさに人間を深く知る必要があろう。

そして、言うまでもなく、
紛争解決や紛争予防を目的とする我々弁護士の仕事も、
まさしく「人間学の探究」に他ならない。

要するに、現代社会に生きる全ての人にとって、
この「人間学」こそがキーワードになるんだろうね。

長らく民事の弁護士をやっていると、
「和解」こそが最良の解決であると確信してくる。

もちろん、弁護士によっては、
「勝つ」ことが全てという人もいよう。

でも、一方の「勝ち」は、他方の「負け」なワケで、
負けた方は納得いかず、その後も、紛争は継続してしまう。
そして、法的手段としては最終決着が付いたとしても、
勝った側の権利行使が容易に実現しないことも多い。
負けた側は納得していないワケだからね。

民事裁判の目的は、あくまでも「紛争解決」である。

よく「裁判で真実を明らかにしたい」という人がいる。
でも、刑事裁判ならまだしも、民事裁判での真実探求は極めて難しい。
一民間人である弁護士には、警察のような強制捜査権限がないし、
裁判所にすら、そんな強力な権限はないからだ。

また「とにかく悔しいので、ギャフンと言わせたい」という人も多い。
でも、こういう人の依頼は、基本的にNGだ。

民事裁判で実現できるのは、「紛争の金銭的解決」に過ぎない。
こういう人の場合、そもそも「お金が目当てじゃない」ことになろう。
これは、パッと聞いた限りは「高尚な目的」のようにも錯覚するが、
民事裁判で実現できることを本来の目的としていないのだから、
民事裁判という手法の選択自体が「お門違い」ということ。

こういう人の場合、絶対に「和解」による解決ができないし、
理性的な合理的判断ができないので、完全にお手上げ状態に陥る。
結局、民事裁判では「スカッと」せず、弁護士への恨みだけが残る。

くどいが、民事裁判は「紛争解決」が全てである。
双方が、全力で主張と立証を尽くした以上は、
裁判官と双方の代理人弁護士が、「理性的な和解」を目指すべきなのだ。

当事者自身は、感情的な部分もあり、冷静な判断をするのが難しい。
だからこそ、専門家の役割は大きいのである。

和解による解決のメリットは、
1)敗訴リスクの回避
2)紛争の終局的解決
3)権利行使の容易性
などが挙げられよう。

つまり、紛争解決手段としては、最も賢明な策なのである。
当事者としては、譲歩自体が「気に入らない」はずだが、
それでも、双方とも、「少しずつ勝った」に等しいのである。

人間心理の本質として「損失回避性」というものがある。
人間というのは、「得る快感」よりも「失う苦痛」の方が大きいのだ。
その差は、およそ「2.5倍」なのだそうだ。

つまり、1万円を失うというのは、
2万5000円を得るのと「同じインパクト」ということ。

例えば、50%の確率で当たりくじがあり、
当たれば1万円貰えるが、はずれたら1万円支払うというゲームの場合、
普通の人は、まず挑戦しない。

これが、当たり=+2万5000円、はずれ=-1万円のゲームだと、
ボチボチ、挑戦者が現れるということなんだね。

裁判の当事者の場合、双方ともが「損失回避をしたがる」ことになる。
お金を請求する側は、「貰えるはずの金額が少なくなるのを回避したがる」し、
お金を請求される側は、「支払う金額が多くなるのを回避したがる」というワケ。

だからこそ、最悪の結果である「敗訴」が回避できる和解は最善なのだ。
要するに、双方が「最悪を回避した」という納得感を得るワケなんだよね。
 
とまあ、つらつらとよく分からん話をしてきたが、
当事務所も、来年1月からは「弁護士3名・事務員3名」の体制となる。
ますます、事務所内の人間関係は大切にしていかねばなるまい。
マネジメントも「人間学」だからね。

とにかく、私の周りにいる「2割」の人達には、1人残らず、
とことん、人生の「幸せ」を満喫して欲しいもんす。